強く美しい日本人女性の奇跡 -澤穂希が切り開いたサッカー界の未来

Japan?s players celebrate with the troph

ブラジルW杯直前となり、周りでもサッカーの話題も多くなっていますが、サッカー女子日本代表(通称:なでしこジャパン)も先日、アジアカップを制覇し、日本中が盛り上がったと思います。

その、なでしこジャパンの中心人物であり、日本サッカー界の至宝である“澤 穂希”選手。過去、多くの特集が組まれて澤選手のサッカー人生が紹介されてきましたが、決して順風満帆なスター街道を歩んできたわけではなく、一時は引退を考えた時もあったそうです。ひとつのゴールであるW杯優勝を成し遂げたこれまでのストーリーを振り返ってみたいと思います。

 

 

女子のため試合に出場できず(小学校6年生)

小学2年生のとき、兄とともに地元府中の「符ロクサッカークラブ」に入りサッカーを始め、男子に混ざって練習に明け暮れていた毎日を過ごした澤選手。男子に負けるどころかチームの中心選手になっていてた矢先の出来事。見事全国大会に出場を決めたチームでしたが、ルール上、女子は出場できないという澤選手にとっては絶望的なことが起こってしまいました。当時の澤選手は「どうして女に生まれてきたんだろう。男だったら良かったのに」と考えていたそうです。

 

 

メニーナに入団後、1ヶ月でトップチームのベレーザに昇格(13歳)

(当時の澤選手)
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13歳でベレーザの下部組織であるメニーナに入団。1カ月ですぐにベレーザに昇格すると、1年目からFWとして13試合に出場し5得点を挙げました。

 

 

日本代表に初召集されデビュー戦で4ゴール(15歳)

(代表初召集したころの澤選手)
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代表デビュー後、1996年にはアトランタ五輪に出場を果たしました。

 

 

大学を中退して、世界トップレベルの米国のプロリーグへと移籍(21歳)

(2002年の米国プロリーグでの澤選手の得点シーン)
アメリカのプロリーグへ移籍した澤選手。以後5シーズンに渡ってプレーするも、不況の影響でリーグ全体が休止する事態に。澤選手はその時、先行きの見えない状況に引退をも考えたそうです。

 

 

どん底を味わってからの復活(26歳)

ベレーザに復帰後、リーグ4連覇(05~08)や全日本女子サッカー選手権連覇(08、09)を達成するなどクラブの黄金期を支え、2008年の北京五輪では代表史上最高となるベスト4進出の牽引役となりました。

その時の北京五輪の試合の中、当時若手の宮間選手へかけた澤選手の言葉が人間性の強さを物語っています。

”苦しい時は私の背中を見なさい”

 

 

歴史的快挙 -W杯2011優勝(33歳)、そしてバロンドール獲得

女子W杯2011決勝戦での澤の神ゴールの瞬間
おそらく、このゴールに澤選手のプレイスタイル、フィジカル、精神力、人間性などが全て詰め込まれて生まれたものだろうと思います。それほど強く、美しいゴールとしてみんなの心に刻まれているでしょう。

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バロンドール受賞時の澤選手の言葉
”たくさんの子供たちに目標や夢を持ってもらえたらいい。「不可能はない」ということを証明できた。”

 

 

突然の病気を乗り越え、アジアカップ2014を初制覇

W杯優勝から翌年、アルガルベカップから帰国後に行った検査により「良性発作性頭位めまい症」と診断された澤選手。しばらく病気に苦しんでいましたが、みなさんもご存知の通り、今年5月に行われたアジアカップ2014で、なでしこジャパンは初制覇を果たしました。

2014アジアカップ 準決勝 vs中国での澤選手の先制ゴール
この大会で見事ゴールを挙げている澤選手ですが、これまでのようにスタメンではなく控え選手となっており、あえてチームキャプテン宮間選手にその役割を譲り、後ろから支えているように感じました。

 

(アジア杯初優勝 表彰式後のインタビュー)
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これまでの澤選手のサッカー人生を振り返ってみましたが、そこから感じるのは彼女の胸中として、これからの世代へ引き継いでいく責任感と、今後の女子サッカーの発展を非常に強く考えていると感じました。澤選手は、日本女子サッカー界、だけでなく、何かを成し遂げようと努力している全ての人に対して、非常に勇気づけられる存在であり続けていくでしょう。

 

 

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