「ここに仲間がいるから」震災後も“釜石に残り救援活動”を続けたラグビー豪代表選手の思い

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熱い戦いの続いているラグビーW杯。そのオーストラリア代表として活躍しているスコット・ファーディー選手は、釜石シーウェイブスに所属していた2011年に東日本大震災に遭遇しました。その事に関するエピソードが話題となっているのでご紹介します。

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東日本大震災に遭遇したファーディー選手。当時、オーストラリア大使館の人がやってきて「ここから避難するか?」と帰国するかどうかを聞かれたようですが、彼が選んだ道は帰国せずに救援活動を続けることでした。大使館の人に対してファーディー選手はこう語ったそうです。

私はキャプテンでここに仲間がいます。その車は避難が必要な人のためにお使い下さい。



順風満帆のキャリア。次へのステップ…そんな矢先に遭遇した震災

当時26歳だったファーディー選手は、選手として脂の乗り切った状態であり、トップイーストリーグの中では無敵のパフォーマンスを続けていました。そんなファーディー選手には、母国に帰ってスーパーラグビーで活躍し、その上のオーストラリア代表を目指すという目標がありました。

そんなファーディー選手にとって、オフの期間は帰国してクラブレベルの試合でプレーすることも可能でした。ちょうどその時に東日本大震災に遭遇したのです。

釜石に滞在することを選んだのは、釜石で築いたチームメートとの信頼関係が大きかったといいます。ファーディー選手は「そこに残って、自分たちにできることをやるのが最善の選択だと思った」と語っています。


人生を変えるような瞬間だった

釜石では2011年3月11日に発生した地震と津波によって1200人以上が命を落としたとされており、そのすぐ後には福島の原子力発電所で未曽有の事故が起きました。ファーディー選手は「人生を変えるような瞬間だった。僕自身はいかなる被害も受けていないが、自分のいた地域や、住んでいた町で、多くの人が苦しんでいるのを見た」と振り返りながら語っていたそうです。

当時の状況をこう語っています。

自宅は山間部にあったので、体感したのは地震だけだった。海沿いの工場から人がやってきて、津波が来ると知らされるまでは、まったく気がつかなかった。

まきを集めに行くふりをして、車で下り海側を見てみたら、車が道路を流れていて、町が火に覆われていた。何が起こっているのかは理解できたけど、電力供給も止まっていたから、全体像としてどれくらい深刻なものなのかは分からなかった。

翌朝起きてみたら、軍用車両がノンストップで往来していて、最初に思ったよりも大変なことが起きているのだと気付いた。



日本人の優しさと寛大さは忘れない。いつかは釜石に帰りたい。

ファーディー選手は、「ある日突然、天災により生活を奪われた人を見ると、人生は短すぎると感じる」「ときに被災者のことや、彼らの経験したことを考える」など、釜石の人々のことを気にかけている様子。

釜石の人々とも連絡を取り続けているそうで、町が徐々に復旧している様子を聞いているといいます。「当時、小さな港町にいた白人はわずか二十数人だったけど、あれは本当に楽しい時間だった」「住むかは分からないけど、いつかは帰って、みんながどうしているのか見てみたい」と語っていたそうです。


ファーディー選手に対して寄せられていた声


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※過去の参考イメージです。


ファーディー選手は2011年シーズンも釜石シーウェイブスで戦い年末に帰国。2013年夏には念願のオーストラリア代表入りを果たしました。そして、現在行われているW杯でも活躍されています。

ファーディー選手の鬼気迫るプレースタイルには熱いもの感じます。日本人として心から応援しています!



出典:headlines.yahoo.co.jp

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