「患者さんのために使って」娘の遺志を継ぎ寄贈した救急車、20年の勤務終え引退へ

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「患者さんを救うために使ってほしい」

そんな娘の遺志を受けて20年前に寄贈した救急車。この度、20年間の勤務を終えることになりましたが、その裏側にあるエピソードが話題となっているのでご紹介します。

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写真に写る救急車は、20年前に青森県むつ市のむつ総合病院に市民から贈られた患者輸送用の救急車。長年の勤務を終えて、今月で引退することになったそうです。

車両の名称は「美輪号」。病気で娘を若くして失った川島弘子さん(80)が1996年、娘の遺志を受けて「患者さんを救うために使ってほしい」との思いで贈った車両だといいます。


川島さんの娘は、95年10月に31歳で帰らぬ人に

美輪号は64年生まれの次女・故美輪子さんの名前にちなんで名付けられました。美輪子さんは地元の信用組合で10年間勤務。その後、保険外交員として仕事をしているさなか、95年10月、スキルス胃がんにより31歳で帰らぬ人となったそうです。体調不良から診察を受け、わずか3週間での急逝だったといいます。

憔悴していた川島さんを動かしたのは、美輪子さんの一言だった

まな娘を失い憔悴していた川島さんの気持ちを突き動かしたのは、入院中の美輪子さんの一言だったといいます。

美和子さんは、むつ総合病院から弘前市の弘前大学付属病院に転院する際に、古い救急車で移動。旧式の車両のため、長距離の移動が辛かったようで、美和子さんはこう言ったそうです。

長距離の移動が揺れてつらかった。ママ、新しい救急車を寄付したら。



この美和子さんの言葉を受けた川島さんは、美輪子さんの生命保険金から救急車の購入費用450万円を賄い、96年2月に寄贈したといいます。


美輪号の走行距離は約20万キロに及ぶ

美輪号が20年間に出動した回数は千回以上。走行距離は約20万キロにも及ぶそうです。容体が落ち着いた人を地元の病院に運んだり、高度な医療を必要とする人を別の病院に送るなど、昼夜を問わず走り続けてきたといいます。

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美輪号に最後のお別れ

近年は、最新型の救急車やドクターヘリの登場により、美輪号の出番は減りつつあるといいます。また、老朽化や車検切れが迫っている状況も踏まえて今月に役目を終えるそうです。同病院の飛内導明事務局長は、「20年にもわたって美輪号を活用させていただき、川島さん、美輪子さんにも感謝を申し上げたい」と語っていたそうです。

そのように感謝の言葉を贈られた川島さんは、感極まっていたといいます。

一人でも多くの皆さんの役に立てて、娘も喜んでいるでしょう。



(この件に対して寄せられていた声)

・娘さんの意思を受け継いで、沢山の人の命を救ってきたんだと思う。お疲れ様でした。

・娘さんも素晴らしい親を持って、あの世で胸を張ってる事と思いますよ。

・美輪子さんの意思は永遠ですよ。正直、涙が出ました。あなたの意思で多くの患者さんを運んだんですよ。こういう話を聞くと、自分の今が情けない。

・世の中の役に立つ、ってこういう事なんですね。

・なんで自分が死に瀕しているのに他人のために「救急車を寄付したら」と言える人が早くに亡くなってしまうのだろう…。ともあれ、ご立派です。美輪号も造り手たる人の思いをこんなにも乗せて走って、本望でしょう。お疲れさまでした。


娘さんを失った悲しみの中、保険金をこの様な形で活用し…、なかなか出来ることではないですよね。多くの方々がこの救急車に助けられたことだと思います。親御さんも娘さんも立派です。「美輪号」には20年間、本当にお疲れ様でしたと言いたいです。

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出典:headlines.yahoo.co.jp

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