「自分たちの地酒になってくれませんか」シアトルで日本酒造りを決断した300年続く伝統蔵の決断

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福島県双葉郡双葉町で300年以上続く伝統蔵“冨沢酒造”が、遠い異国の地アメリカのシアトルで日本酒造りを始める決断をしたということでぜひとも応援したいと思い紹介させて頂きます。

ここからは、“福島県いわき市地域活性プロジェクト”さんがFacebookに投稿された内容をもとに紹介します。


原発事故の影響


300年続く伝統蔵「冨沢酒造」の一家は、今夏、アメリカに渡る。大手の酒造以外では初めて、海外での日本酒造りに挑戦するのである。当主冨沢周平60歳杜氏、妻61歳杜氏、息子31歳杜氏、娘30歳営業広報担当の4人は、英語ができるわけではない。アメリカの市場に詳しいわけでもない。しかしシアトルに渡り、銘酒純米「白富士」を造るという。彼らの蔵は、福島原発から3.5㌔の双葉町にあった。手に持てるだけの酒を持って避難したが、やがて蔵のある場所は、警戒区域となり立ち入り禁止となる。



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繋がった奇跡


国と幾度も交渉して、なんとか蔵に戻ることができ、麹菌と酵母を持ちだすことができた。奇跡的に1本だけ菌が生きていた。しかも密閉した部屋にあったためか、放射能が検出されない。もう一度酒造りができる。廃人同然だった当主と妻の眼に輝きが戻った。他県で廃業した蔵などをあたり、なんとか酒が造れる未来が見えてくる。しかし契約寸前までいきながら、酒税法の高い壁が立ちはだかった。「市場をみだらに荒してはいけない」。明治時代に創立された酒税法には、そんな決まりがある。「他県で造ってもいいが、売るのは双葉町にしてください」。人口ゼロの街でダレに売れというのか。再び当主と妻の目から光が消えていく。しかし子供たちが、思わぬきっかけをつかんだのである。





シアトルでのチャレンジ


紆余曲折があり(この辺りはまた今度)、結果として、シアトルで無農薬の米を使い、酒造りをすることとなった。場所選び、ビザ、住居、酒造免許、資金集め、日本からの機材の輸入等々様々な問題があっただろう。またこれからも多くの問題があろう。冨沢周平は言う。「シアトルは、秋を、春を感じる街でした。まるで故郷を見ているようで、鮭が登る川を見ていて、自然と涙が溢れました」。「でも、最終的に決断したのは、日系人の皆さんの『俺たちの、自分たちの地酒になってくれませんか』という言葉でした」。最期に「どんな酒を造りたいですか?」と聞いてみた。川村さんは照れ笑いするような顔しながら、一瞬黙り、絞り出すように口を開いた。「人の輪がつながる酒屋になりたいと思っています」。


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熱い気持ちが受け継がれている冨沢酒造の酒を飲んでみたい。

出典:Facebook
出典:株式会社 冨沢酒造店

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