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「野球は辞めても、横浜はずっと離れない」
25年間、横浜一筋。横浜愛を貫き、今季で現役生活にピリオドを打つこととなったハマの番長こと、横浜DeNAベイスターズの三浦大輔選手が9月20日、引退会見を行いました。
会見前、横浜DeNAベイスターズのTwitterでは記者会見を告知。その投稿に対して、多くのファンからの反響が寄せられるなど、ハマの番長の引退を惜しむ声は止みませんでした。
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目次
引退の理由…勝てなくなったから
三浦選手は、引退する理由を「勝てなくなったから」と回答。また、「高校を卒業して大洋ホエールズに入団して25年、横浜の街で育てられ、ここまでやってくることができました。うれしかったことや苦しかったことがたくさんありましたが、ファンの皆さまに支えられて、一歩ずつ進んでくることができました」とファンへの感謝の気持ちを伝えました。
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会見の席。パネルには、三浦選手の25年間の歴史を物語るかのように、チームの歴代のロゴが記されていました。
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25年間、最後まで貫いた横浜愛
三浦選手は2008年、フリーエージェント権を行使し、同じセ・リーグの阪神への移籍が濃厚とも報道されていました。実際、阪神からは熱烈な誘いを受けていましたが、悩んだ末に横浜への残留を決めました。
98年にリーグ優勝・日本一となったチームも、以降は低迷。その中で先発の柱として、チームの精神的主柱として長きにわたり活躍してきました。会見の中で一番うれしかった勝利を聞かれ、通算150勝を達成した試合を挙げていましたが、その時に「このチームで達成できたこと。ファンが自分よりも喜んでくれて、それがうれしかった」と語っていました。
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以前、テレビ番組のインタビューで「違う球団ならもっと勝てたか?」という質問に対して「ないです」ときっぱり回答。
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背番号「18」は、チームの象徴となる「横浜ナンバー」へ
三浦選手が背負った背番号「18」は、ここまでの功績を評し、チームの象徴となる「横浜ナンバー」とされることが決定。番号にふさわしい選手が現れるまで使用しないことも発表されました。
また、三浦選手は「チームが少しずつ強くなって…。今回クライマックスシリーズにも出場することが決まりましたし、1日でもチームメイトと長く試合ができることを願っています」と話していました。
(寄せられていたファンの声)
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横浜を愛し、多くのファンに愛された三浦選手。野球は引退しても、横浜からは離れない。野球にはずっと関わっていくという言葉は、ファンの皆さまにとっては嬉しい言葉だったのではないでしょうか。
球団史上初のクライマックスシリーズ出場も決めました。1日でも長くチームメイトと野球ができることを願っています。
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