「清水の舞台から飛び降りる」とはいうけれど・・・本当に飛び降りた人なんているの?と思ったら結構いた

思い切った大きな決断などをすることを表現するする「清水の舞台から飛び降りる」。
この清水の舞台といわれる場所があるのは、京都を代表する観光スポットである清水寺です。

清水寺の本堂は高さが14mほどありますので、この言葉は一種の比喩表となります。
ところが、実際に飛び降りた人が相当数いたという事が記録から分かっています。

そこでここでは、「清水の舞台から飛び降りる」という言葉について、そして実際に飛び降りたという記録について解説します。

「清水の舞台から飛び降りる」とは

 

まずは、「清水の舞台から飛び降りる」という慣用句について見ていきましょう。

「清水の舞台」とはどこのこと?

「清水の舞台」の清水とは、京都の東山区にある清水寺の事です。
観光地として、京都でも屈指の人気スポットとなっていますよね。

そしてその舞台というのは、江戸時代の火災の後に復興した、本堂のことを指しています。
毎年年末になると発表される「今年の漢字」を揮毫を持って発表される場です。

ちなみに、清水の舞台から崖下までは約14m、ビルに換算すると約4階に相当する高さがあります。
飛び降りてといわれても絶対に拒否する高さとなっています。

「清水の舞台から飛び降りる」の意味

慣用句としての「清水の舞台から飛び降りる」は、思い切って大きな決断をすることの例えとなります。
また、必死の覚悟で実行するという意味でも用いられます。

「清水の舞台から飛び降りる」の用い方

「清水の舞台から飛び降りる」の例文として、以下に2つほど使用例を上げてみます。

・非常に高価なパソコンだが、清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入を決めた
高額なものを購入するであったり奮発した買い物をすることをあらわす際に用いられます

・今日、清水の舞台から飛び降りるつもりで、ずっと好きだったあの人に告白する
非常に勇気のいる行動をする際や大きな決断をする時、いつもだったらしないことをする際にも使用されます。

実際に清水の舞台から飛び降りた人は多い

 

約13mの高所にある「清水の舞台」そんな場所から飛び降りるだなんて不可能に近いように思われますが、実は昔は実際に飛び降りた人もいたようです。
しかも、1人2人といった数ではなく、結構な人数がいたのだとか。

江戸時代に飛び降りた人の数、なんと234人!

「清水寺成就院日記」という文献に残っている記録では江戸時代に清水の舞台から飛び降りた人は234人にものぼるそうです。
落下者は全体で234人ですが、死亡者は34人だったとか。

生存率だけなら約85%ほどの人は生き残れたということになりますが、無傷だったかどうかは不明なのできっとただでは済んでいないことでしょう・・・。

なお、男女比は7:3と女性より男性の方が多かったとされています。
全体の73%が10代~20代ですが、最年少だと12歳、最高齢では80代の人まで飛び降りたとされています。

当時は清水の舞台の下には木々が生い茂り、地面も軟らかい土でした。
そのため生き残れる人も多かったのだと考えられています。
現在ではコンクリートで舗装されているため、状況は大きく変化しているということになります。

ちなみに、これだけ多くの人が飛び降りていることから、の1872(明治5)年に京都府から飛び降り禁止令が出されました。
非常に危険な行為ですから、むしろそれまでなぜ禁止されていなかったのかと思ってしまいますね。

何のために飛び降りたのか

しかし、なぜわざわざ危険な「清水の舞台から飛び降りる」なんてことをした人たちがいたのでしょうか?
これは、諸願成就の願掛けを目的としていたのだとか。

清水の舞台は江戸時代当時、所願成就で飛び降りたとしても死ぬことはなく、怪我をせずに済むこともあるとされていました。
もしくは、死んだとしても成仏できると信じられていたとされます。
そこから願掛けで飛び降りる人が増えてしまったようです。

中には病を抱えた病人などもいたようですが、決して自ら死を望んでいたという悲観的なものではなく、なにか祈り事があって飛び降りた人が多かったのです。

他にもある、清水寺から生まれた言葉

 

古い歴史を持つ清水寺には、「清水の舞台から飛び降りる」の他にも由来となったとされる言葉があります。
たとえば「檜舞台」や「堂々巡り」もそうです。

檜舞台

「檜舞台」は、清水寺から生まれた言葉の1つです。

この「檜舞台」は、現在自分の腕前を示す晴れの場所を指す言葉として用いられています。
特に立派で名誉な発表の機会などを表す際に使用されることが多いですね。

その際は、「檜舞台の出る」といった用い方をします。

「檜舞台」というのは、飛び降りる人もいたという清水の舞台の事です。
この檜舞台で舞を披露することができたら演者として一人前とされていた、ということが由来とされています。
そこから、一世一代の晴れ舞台を意味する「檜舞台」という言葉が生まれたと考えられています。

檜舞台は、本尊である「十一面千手千眼観世音菩薩」に舞いを奉納する場所として整えられたものとなっています。
そのため、現在でも特別な行事のときは、清水寺の檜舞台で狂言や能が奉納されています。

堂々巡り

「堂々巡り」も清水寺から生まれた言葉の1つとされています。
その意味は、話し合いや考えなどが同じような内容の繰り返しで先へ進まないこととなっています。

これは清水寺のお参りの際、僧侶などが祈願のために何度もお堂の周りを回ったことから転じて生まれたとされています。

まとめ

「清水の舞台から飛び降りる」は、大きな決断をしなくてはならないときなどに使われる表現となっています。

この清水の舞台がある清水寺では、かつて実際に飛び降りた人もおり、その数なんと234人にも上っています。
記録に残っていないものもあるだろうことを考えると、もっと多くの人が飛んでいるのかもしれません。

しかし、飛び降りても死ぬことはなく、怪我すらしないこともあるとされたので願掛けとして飛び降りていたのだとか。
それもあって、明治時代に京都府から飛び降り禁止令が出されたという歴史があります。

関連記事(外部サイト)

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事