てるてる坊主の由来は元々「女の子」だった?中国に伝わる伝承をご紹介

幼少期に遠足や運動会の前日に雨が降らないように「てるてる坊主」を飾ったことがあるという人もいると思います。
このてるてる坊主は、坊主というからには男の子なんだろうなと思ってしまいますが、原型は坊主ではなく女の子だったようです。

なぜてるてる坊主がかつては女の子だったのでしょうか?
その原型とされる中国の伝承をご紹介します。

雨除けで飾られる「てるてる坊主」とは

「てるてる坊主」が軒先などに吊るされるようになったのは江戸時代中期ごろからといわれています。
次の日が晴天になるようにと、願いを込めて飾られるというのはこの当時からだそうです。

現在はティッシュなどを丸めて作るのが一般的ですが、当時は折り紙のように折って人形を作っていたそうです。

てるてる坊主の原型は中国にあった!

 

晴れることを願って軒先に吊るされるてるてる坊主。その原型は中国に伝わる「掃晴娘(さおちんにゃん・そうせいじょう)」と呼ばれる少女にかかわる伝承にありました。

掃晴娘の物語

 

それは、幾日も大雨が続き止む様子がなかった北京でのこと。
振り続ける大雨に困惑する人々を見た少女「掃晴娘」は、この状況を何とかしようと天に祈祷を捧げ晴れることを願いました。

すると、天から「東海龍王の妃となれば雨を止ませる、しかし断ればこれからも雨が止むことは無い」という声が聞こえたのです。
東海龍王というのは、天に住まうという龍神のことで、雲と雨を操るといわれています。
また怒らせると豪雨を降らせ、街を水に沈めてしまうとされる非常に強い水神でもありました。

その天の声に従えば雨は止み、北京の人々の救いになります。
しかし、掃晴娘自身は東海龍王の妃となるため、どうなってしまうのかもわかりません。
それにもかかわらず、天からの声を聞いた掃晴娘は迷うことなく承諾したのです。

掃晴娘が"東海龍王の妃となるように"という声に従うと、たちまち雨は止み、空は晴れ渡りました。
しかし、そこに掃晴娘の姿はありませんでした。
そう、掃晴娘は東海龍王の妃となるべく天へいってしまったのです。

掃晴娘の飾り

 

掃晴娘を犠牲にしたことで晴れ間を得た人々は、掃晴娘の人形を門に飾ることで偲ぶようになりました。
これがてるてる坊主の原型とされる掃晴娘のはじまりです。

掃晴娘は「折り紙で作る人形」と「切り紙」の2種類がありますが、特徴的なのは「ほうき」を持っているという点です。
これは掃晴娘が手にしたほうきで雨雲を掃いて晴れにすると考えられたからです。
龍神の妃になったことで「雨を止ませた少女」から次第に様子が変わり「雨雲を払い晴れにする少女」になりました。

このほうきを持った掃晴娘の切り絵もしくは折り紙を、雨がよく降る6月に門に貼っておけば、雨空も晴れに変わるといわれていたそうです。

女の子から坊主に変わった、その理由は?

 

女の子だった掃晴娘が現在の「てるてる坊主」という名前に、なぜ変わったのか実は判明していません。
一説には、長期に渡って雨が降らないことを指す「日照り(ひでり)」と「晴れ乞い」をする僧侶の別名「聖(ひじり)」をかけた一種の言葉遊びで坊主に変わったともいわれています。

まとめ

童謡にもある「てるてる坊主」の原型は、なんとも切ない少女の身を挺した物語がありました。
童謡の「てるてる坊主」も歌詞が物騒なものになっていますので、てるてる坊主には古くから危険な一面があるようですね。

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