「我田引水」とは、自分勝手な発言や身勝手な言動を意味する四字熟語です。
この熟語は、自分自身の行動について用いるのではなく、対話相手や第三者に対して用いる表現となっています。
そこで、ここでは「我田引水」という四字熟語について、その意味や用い方はもちろんm由来や類義語について解説します。
目次
「我田引水」とは
まずは「我田引水」がどのような言葉なのか、その意味や用い方について見てきましょう。
「我田引水」の意味
「我田引水」は、自分勝手な人物や身勝手な物事を指します。
他人のことを考えず、自分に都合がいいような言動をする際の表現となります。
また、物事を自分たちの都合のいいように取り計らうことに対しても用います。
多くの場合、自分のことしか考えていない人物のことを揶揄した言葉として使用されます。
自己中心的な言動に対して用いる
「我田引水」は、自己中心的な言動に対して使います。
「我田引水と誤解される言動は慎むべき」「我田引水と思われかねない」のように、自己中心的なことを指摘するニュアンスを強く含みます。
直接的な表現に置き換えるのなら「利己主義」「わがまま」となりますね。
実のところ、「我田引水」は柔らかい表現といえるかもしれません。
本人に「自分勝手になっているよ」とやんわり気づかせることができるからです。
はっきり伝えたい場合は「自己中心的だ」と言えば良いでしょう。
しかし、それではあまりにも直接的な批判となってしまうため、人間関係に軋轢が生まれることもあります。
それを防ぐための表現として「我田引水」は使用できるのです。
もちろん、皮肉を込めた批判として使用されることもあります。
「我田引水」の由来
では「我田引水」はどのようにして生まれた言葉なのでしょうか?
これに関しては文字通り、田んぼから来た言葉とされています。
自分の田んぼにだけ水を引く様子から
「我田引水」は、自分の田んぼにだけ水を引く様子から来た言葉です。
日本では古くから稲作が行われるうようになりましたが、稲作の命とも言える存在は水です。
しかも、稲作ではまとまった水を利用します。
そのため、稲作に使用する水は、本来近隣の人間たちで計画立てをし分け合うものとなります。
しかし、その中に自分の田んぼのことだけしか考えず、自分の田んぼにだけ水を引き入れたり、下流域に水が行かないようにせき止めるものがいたとしたら・・・、それは大問題です。
それに、そのような人は他人のことを考えていない自己中心的な人と言えるでしょう。
この自己中心的な考え方しかしない人のことを例えて「我田引水」と表現が生まれたとされています。
なお、江戸時代では「我が田へ水を引く」と表現されており、現在のような四字熟語としては使用されていなかったとされています。
それが明治時代に入り、漢語読みに変えて四字熟語へと変化したとされています。
つまり「我田引水」は和製熟語のひとつとなるのです。
「我田引水」の類義語
最後に「我田引水」の類義語についても見ていきましょう。
類義語としては「厚顔無恥」「手前勝手」「牽強付会」などがあげられます。
厚顔無恥
「厚顔無恥」とは、厚かましくて恥知らずなことを意味します。
「厚顔」は面の皮が厚く、恥知らずで図々しいこと。
「無恥」は恥じらいがなく、恥ずべきことを恥だと思わないことを指します。
どちらも身勝手な発言や行動に対して使用されます。
特に、相手に対して皮肉のニュアンスを込めて使用することが多いです。
手前勝手
「手前勝手」とは、自分に都合がいいように振る舞うことです。
「手前」は一人称で「自分」をあらわす表現のひとつ。
そこに、都合よく考える「勝手」という言葉を組み合わせた四字熟語となります。
牽強付会
「牽強付会」は、自分の都合のいいように無理に理屈をこじつけること意味します。
屁理屈でもってものごとを強引にこじつける意味合いが強いです。
「牽強」も「付会」も、道理に合わないことをこじつけること指しています。
まとめ
「我田引水」は、自分勝手な人物や身勝手な言動を意味します。
自分の田んぼにだけ水を引く、自分のことしか考えていない様子から来ました。
類義語には「厚顔無恥」「手前勝手」「牽強付会」などがあげられます。