味方することや賛成することの例えとなる「左袒」。
この「左袒」という言葉は、古代中国・全巻の時代の逸話から来た言葉とされています。
ここでは、この「左袒」という言葉について、その意味や由来について見ていきましょう。
目次
「左袒」とは
まずは、「左袒」がどのような意味の言葉なのかを見ていきましょう。
「左袒」の意味
「左袒」とは、味方することや賛同する事を例えた表現です。
どちらか一方の肩を持つという意味のことも意味する言葉です。
「左袒」の由来
では「左袒」という言葉がどのようにして生まれたのか。
その由来とされる故事について見ていきましょう。
「袒」の意味する動作
「左袒」の「袒」は、日常生活の中では見聞きしない漢字です。
これは、衣服の袖を脱いで肌特にこの場合は肩ををあらわにする動作です。
ちなみに、謝罪のため右肩を肌脱ぎする動作として「肉袒」という表現があります。
「左袒」の由来となった逸話
「左袒」は、前漢の歴史書である「史記」-呂后紀にある故事から成立した言葉です。
紀元前2世紀、前漢王朝を樹立した高祖・劉邦の死後、皇后の呂氏の一族が実権を握ろうと行動を始めていました。
この時、劉氏を守ろうと「周勃」という武将をはじめ、何人かの人物が行動を起こしました。
周勃は呂后が亡くなったのをきっかけに、軍隊の指揮権を掌握することに成功します。
その際、兵士たちに向かって「呂氏の為にする者は右袒せよ、劉氏の為にする者は左袒せよ」と呼びかけました。
自分の意見に賛同し、劉氏に味方する者は左の肩を肌脱ぎにせよと呼びかけたわけです。
その時、兵士全員が躊躇することなく「左袒」しました。
周勃の活躍もあって呂氏一族は滅ぼされ、前漢王朝は存続することができました。
この周勃と兵士のやり取りにより、「左袒」は義によって味方するという意味合いで用いられるようになり、後に賛同するという意味合いで使用されるようになりました。
まとめ
「左袒」は、味方することや賛成することをあらわす言葉です。
この言葉は、前漢の時代に皇帝の復権もかけて立ち上がった将軍が兵士に呼びかけた言葉から来ているとされています。
「袒」という言葉自体は、衣服の片袖を脱いで、一方の肩をあらわにすることをあらわしています。