「忘れられない日」
阪神大震災から21年…震災のあった95年のV戦士でもあるオリックス福良監督と田口2軍監督らが1月17日、犠牲者に哀悼の意を表しました。
出典:twitter.com
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目次
オリックスは95年、「がんばろうKOBE」を合言葉にリーグ優勝
オリックスは、阪神大震災が起きた1995年、ユニフォームの右袖に「がんばろうKOBE」のワッペンをつけ、「がんばろう神戸」を合言葉にリーグ優勝を成し遂げました。現在、オリックスの指揮官である福良監督、2軍の指揮官の田口監督はともに95年のV戦士。イチローらとともに強力な上位打線を形成し、オリックスの優勝に大きく貢献しました。
当時選手だった福良監督は、神戸市垂水区の自宅で被災しており、当時の状況をこう話しています。
鮮明に覚えている。野球をやっていいのか、野球ができるのかという思いがあった。忘れたら駄目な日。
また、田口2軍監督は、
風化させてはいけない。向き合っていかないといけない。
と神妙な面持ちで話し、95年の優勝については
世界一よりも重みのある優勝だった。
と、当時の記憶を回想していました。
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復興への思いが、団結心を生んだ
当時、オリックスの監督だった故・仰木彬監督は、95年の優勝について、住む所や食べる事を心配しなければならない状況の中、「頑張って」と言われる。「頑張らなきゃ」と思ったと話していました。
また、優勝できたことについては、
復興への思いが団結心を生んだ。すごいと思った。みなさんから「元気づけられた」と言われたが、逆だった。神戸で試合をしていなければ、絶対にリーグ優勝はなかった。
と神戸市民、オリックスファンへの感謝の思いを語っていました。
(この件に対して寄せられていた声)
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上記のコメントにもありますが、オリックスは、2017年に練習施設や選手寮を含めた活動拠点を現在の神戸市から大阪市此花区の舞洲スタジアム周辺に移転する計画を発表しています(1軍のホームの京セラドーム大阪から近いことが主な理由)。
神戸から実質的に離れてしまうことになりますが、震災の年の優勝は、今も神戸市民の方々の心に深く残っていると思います。また、震災に関する式典が半減しているということですが、今回の黙とうは毎年続いています。福良監督、田口2軍監督の言葉にもありましたが、震災を風化させないために、ぜひ頑張ってもらいたいですね!オリックスが優勝すれば、震災時の優勝を振り返る機会ともなりえますし、新しい世代が野球を通じて、震災への理解を深めるきっかけにもなるのだと思います。