
誰にも気づかれず巨額の現金を奪い、捜査網をすり抜けて姿を消す──。
そんな “映画のような” 犯罪は日本にも実在しました。
ここでは、逃亡が長期化したり、黒幕がなお不明だったりする 伝説的な5事件 をご紹介します。
目次
【1】松山ホステス殺害事件(1982年)──「7つの顔を持つ女」「現代の忍者」
1982年8月19日、愛媛県松山市のマンションでホステスの 安岡厚子さん(31歳) が絞殺され、室内の家財道具まで奪われました。
犯人は同僚のホステス 福田和子(当時34歳) です。夫に遺体運搬を手伝わせて山中に遺棄し、親族も巻き込んで家財 334点(時価約951万円) を運び出しました。
福田は整形手術と偽名を駆使して北陸や近畿を転々とし、約14年11か月 も逃亡しました。
警察は指名手配写真入りテレホンカードやテレビ特番まで動員しましたが逮捕には至らず、公訴時効成立21日前の1997年7月29日、福井市内のおでん店から出た直後に市民通報で逮捕されました。
巧妙な整形と逃亡生活から、メディアは彼女を「七つの顔を持つ女」と呼びました。
【2】1994 神戸《福徳銀行5億円強奪事件》
1994年8月5日午前9時20分ごろ、兵庫県神戸市中央区の 福徳銀行神戸支店 車庫で、行員が降ろしていた現金 5億4,100万円 入りジュラルミンケース3個が、拳銃を持つ2人組に強奪されました。逃走車は約800メートル東で見つかり、現金は別車両へ積み替えられていました。
兵庫県警は生田署に捜査本部を設置し大規模捜査を行いましたが、回収できたのは微々たるものだけです。
主犯格と報じられた元暴力団員 森本喜博 は(犯行当時43歳)は整形と偽名で転々とした。のちに2007年の逮捕時には56歳になっていた。整形と偽名で転々とし、「十の顔を持つ男」と呼ばれました。強盗致傷罪の時効は2002年4月1日に成立し、本件では起訴できませんでした。森本は2007年、愛知県の信用金庫での強盗未遂で現行犯逮捕され、別罪で懲役8年の実刑判決を受けています。
【3】大阪ニセ夜間金庫事件(1973)
1973年2月25日深夜、大阪市北区梅田の三和銀行阪急梅田北支店前に ベニヤ板製の偽造夜間金庫 が据え付けられました。正規金庫には「故障中につき仮金庫へ」と貼り紙があり、利用客は売上袋を次々に偽物へ投入しました。
未明、袋が詰まって外板が膨らんだため不審に思った利用客が警備員へ通報し、被害総額は 2,576万円 に達する直前で発覚しました。
偽金庫はレシートまで出る精巧な作りで、大阪府警は材料の仕入れ先を徹底調査しましたが犯人は特定できず、1980年2月の公訴時効成立で未解決となりました。その巧妙さから「知能犯の傑作」とも評され、以後のドラマや類似事件のモデルになっています。
【4】福岡3.8億円強奪事件(2017年4月20日)
2017年4月20日12時25分ごろ、福岡市中央区天神1丁目のコインパーキングで、東京の貴金属店に勤める男性(29歳)が 3億8,400万円(紙幣約38kg) 入りスーツケースを奪われました。犯人グループは男性の顔に催涙スプレーを噴射し、盗難ナンバーの白いワンボックス車で逃走しました。
事件後、愛知や関東を拠点とする暴力団関係者ら 計10人 が逮捕・起訴され、実行・運搬・計画と役割を分担した組織的犯行と認定されています。
2019年5月24日、福岡地裁は主導役に懲役16年など実刑判決(全員15~16年)を言い渡し、「白昼の繁華街で巨額現金を強奪した極めて悪質な犯行」と断じました。奪われた現金の大半は依然不明です。
【5】三億円事件(1968年・府中)
1968年12月10日午前9時30分ごろ、ごろ、東京都府中市晴見町で、東芝府中工場の冬季賞与 2億9,430万7,500円 を載せた現金輸送車(日産セドリック)が、白バイ警察官を装った男に乗り逃げされました。
犯人は「車体下に爆弾がある」と告げて発煙筒を焚き、銀行員4人を退避させた後、車を約1.2km離れた武蔵国分寺跡付近で乗り捨てて逃走しました。暴力行為がなく死傷者も出なかったため刑法上は窃盗罪です。
警視庁は延べ 17万1,346人 の捜査員と約 9億7,200万円 の捜査費を投入しましたが、犯人も現金も見つからないまま 1975年12月10日 に公訴時効が成立しました。
番号特定済みの500円札2,000枚を含め、紙幣は一枚も発見されていません。被害額が「約3億円」と報じられたため、事件は通称「三億円事件」と呼ばれ、日本の“完全犯罪”の象徴とされています。
まとめ:逃げ切りを支えた3要素
入念な下調べと準備
堂々とした(または巧妙に目立たない)実行
長期潜伏を可能にする整形・偽名・組織的支援
フィクションのように思える犯行ですが、実際に日本で起きた史実です。その裏には被害者の深い傷と社会的損失があります。事件が時効を迎えても、真相は風化しません。私たちは今後も、同様の犯罪を生まないための教訓として語り継ぐ必要があります。