日本各地を歩いて測量し、正確な日本地図を初めて作り上げた伊能忠敬は有名ですよね。
その伊能忠敬の地図が完成したのは1821年なのですが、その遥か昔の1682年にイタリアで作成された日本付近の地図が魅力的なのでご紹介します。
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▼ その地図がこちら
2019年ごろにSNSで紹介され一時期なんだかカッコいいと話題になったこともありました。
何がカッコいいかというと、地名の表記がなんだかカッコいいと話題となっていました。
地名がカッコいい
江戸のことを「Iendo」、四国のことが「Xicoco」、津軽が「Zungar」と表記されているのも面白い!
そのほか、SNSではこんな声もありました!
<SNSに寄せられた声>
・古地図マニアには嬉しい!「秋田=Aqita」、「酒田=sacata」、そんでもって「仙台=Xenday」とかカッコよすぎ!
・北海道が陸続きに・・・
・北海道がTartari、タタールの一部なんですがそれは…
・Isola di NIPHONって書いてるってことは本州は「ニッポン島」だったんですかねー。下にはIsole del Giapponeもありますね。どういう使い分けだったんでしょうね。
・この時代に日本が「ニッポン」って描いてあってなんだかうれしい。
おぉ、ほんとうだ。真ん中の方に”NIPHON”という表記がある!17世紀の地図にニッポンという言葉が出てくるのって、なんだか嬉しいですね。
ちなみに1682年は徳川綱吉の時代です。この5年後に生類憐みの令が制定されたんですって。いやはや、世界がどれだけ日本の先をいっていたかわかりますね。
オランダ人探検家の報告に基づく
この地図はイタリアでオランダ人探検家のマルチン・ゲルリッツエン・フリースさんの報告に基づき作られました。フリースはオランダ東インド会社の一員で、日本の東方にあるとされた金銀島の捜索隊として訪れました。その際択捉島と得撫島を発見しました。その際にまた、東北から北海道、千島列島、樺太にかけての沿岸の実測地図を制作していましたが、濃霧のため宗谷半島方面の探索を断念したため、宗谷海峡を発見できずに、北海道と樺太を陸続きとして報告しています。
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