夜桜の名所「日本三大夜桜」と、古くからの桜の名所「日本三大桜の名所」をご紹介

日本では春になると桜を見ながら花見をする文化がありますが、花見として夜桜を見に行くのも乙なものです。
太陽に照らされて輝く桜も美しいですが、ライトアップされた夜桜はまた違った美しさがありますよね。

そこでここでは「日本三大夜桜」の名所について解説します。

日本三大夜桜

日本には桜の名所が各地にあるのですが、その中でも特に夜桜が綺麗な場所として知られているところがあります。
ここからは日本三大夜桜について、その場所や歴史などについてご紹介します。

弘前公園

 

弘前公園は青森県弘前市にある公園です。
桜の開花時期である4月下旬~5月上旬になると「弘前さくらまつり」が開催され、年間約300万人近くの人々が訪れます。

はじまりは京都から取り寄せた25本の桜の木

桜の名所として知られる弘前公園ですが、桜とのかかわりは弘前城と呼ばれていた江戸時代にさかのぼります。
江戸時代中期にあたる1715年、藩士が京都からカスミザクラなど25本を京都から取り寄せ弘前城内に植えたのが、記録上もっとも古い弘前公園と桜のかかわりです。

現在のように、桜の名所となったのは1882(明治15)年のこと。
弘前藩の旧藩士で青森でのリンゴ産業発展の基礎を築いた「菊池楯衛(きくちたけえ)」という人物が、桜の木を1,000本植樹がきっかけとなっています。

13年後、弘前城は弘前公園として一般開放されるのですが、菊池楯衛は公園として開放されてからも桜の木を植樹しており、その後弘前市民による桜の寄付も行われています。
かつては弘前藩に仕える武士の誇りでもあった弘前城を行楽地にすることを反対し、桜が抜かれることもあったようです。

それも今となってはそれも昔の話。
現在では日本一とも言われる徹底した管理を行い、弘前公園の景観は守られています。

大正5年から続く夜桜見物

開花時期に行われる「弘前さくらまつり」では、夜間特別照明によるライトアップもあって幻想的な夜桜を楽しめます。

この弘前公園の夜桜のはじまりは1916(大正5)年のことです。
当時、アーク灯やイルミネーションを装飾した夜桜見物が開催され大盛況に終わりました。

この成功を踏まえ1918(大正7)年からは大々的な観桜会が開催され、年間行事として定着していったそうです。

昭和に入り、夜のイルミネーションが投光器に替えられたことで、より鮮明で美しい夜桜を楽しめるようになったこともここが夜桜の名所と言われるに至った理由でもあります。
1956(昭和31)年にはソメイヨシノ1,300本が新しく加えられ、外濠もすべて桜で埋め尽くされたことで、日本屈指の夜桜スポットとして定着したそうです。

高田城址公園

 

新潟県上越市の高田城址公園は、徳川家康の六男である松平忠輝によって築城された高田城跡地にある公園です。
東京ディズニーランドと同程度の敷地面積を誇り、市街地中心部にある公園の中では珍しい規模の公園となっています。

大正15年に始まった「高田城百万人観桜会」

高田城址公園では、毎年4月上旬~4月中旬に「高田城百万人観桜会」というお祭りが催されます。
このイベントは1926(大正15)年から始まりました。

約4,000本の桜と、約3,000個のぼんぼりが立ち並ぶ光景をるために多くの人が訪れます。
その数は年間で約130万人にも及ぶのだとか。

中でも桜並木をライトアップしたさくらロードは人気で、約300店の露店が並ぶ姿は祭りの興奮を一気に高めてくれます。

徳川家康の息子が開いた高田城

高田城址公園は江戸時代初期の1614年、松平忠輝の居城として建てられた「高田城」が始まりです。
高田藩の藩庁として利用されていましたが、明治時代に入り第13師団の司令部などが設置されたのを経て、現在のように広く人々に開かれた公園となりました。

高田城址公園が現在のように桜の名所として知られるようになったきっかけは1908(明治41)年、第13師団の入城にあります。
当時、第13師団の入城を祝して、在郷軍人団が城跡に2,200本とも3,000本ともいわれる桜の木を植樹しました。
これによって毎年満開の桜が咲くようになり、高田城址公園は夜桜の名所となっていったのです。

上野恩賜公園

 

東京都台東区にある上野恩賜公園は、上野の森と呼ばれるほど自然に囲まれた美しい公園です。

国を代表とする博物館や美術館、動物園などが集中しているだけではなく、夜桜の名所としても名高い場所となっています。
上野恩賜公園をまるまる境内としていた寛永寺の天海和尚が、三代将軍・徳川家光の命で吉野の桜を寛永寺に桜を植樹したのが、上野と桜の関係の始まりです。

その後、元禄時代には桜の名所として知られるようになりました。
かつては桜を眺めるだけの場所であり、酒盛りなどをしながら宴会をする場所ではありませんでした。
現在のように桜の木の下で宴会を行う花見は、八代将軍・徳川吉宗が庶民の息抜きの場として整備した飛鳥山(東京都北区の飛鳥山公園)が使われていました。

日本三大桜の名所

夜桜もいいですが、昼間に咲き誇る桜もまた格別です。
そこでここからは日中も楽しめる日本三大桜の名所をご紹介します。

弘前公園

 

弘前公園は日本三大夜桜の名所でもありながら、日本三大桜の名所でもあります。

それもソメイヨシノだけではなく枝垂桜や八重桜などが咲き誇り、現在では約50種類2,600本の桜が咲き誇ります。
美しく桜が咲くだけでなく、日本最大幹周のソメイヨシノに日本最古のソメイヨシノが現存している場所でもあります。

ソメイヨシノは病弱でどんなに長くても樹齢は60年~80年が寿命と言われていますが、弘前公園にはそれを優に超える樹齢100年を超える老木がなんと400本以上現存しています。
日本一の管理体制で保護していることもあり、桜が織りなす絶景は日本一との呼び声も高いですね。

高遠城址公園

 

高遠城址公園は長野県伊那市にある公園で、「天下第一の桜」とも称されるほど桜の名所として知られている場所です。

高遠城址公園の桜は「天下第一の桜」

ここ高遠城址公園でしか見られない絵画のような色彩の桜、タカトオコヒガンザクラは一見の価値ありです。

公園内には約1,500本ものタカトオコヒガンザクラが植えられており、ソメイヨシノよりも濃淡がはっきりしたピンク色を望めます。
中でも「桜雲橋」のタカトオコヒガンザクラは公園屈指の絶景スポットとして知られています。

タカトオコヒガンザクラとのコラボレーションを風景を見るもよし、橋の上を歩くもよしと、最高のロケーションとなっています。

高遠城は名軍師・山本勘助が縄張りした堅城

高遠城は戦国時代の名将・武田信玄の軍師として知られる山本勘助が縄張りし、武田一族が守った城です。
しかし、江戸時代に高遠藩に管理されたものの、廃藩置県後に取り壊しになり荒れ地になってしまいました。
これを見かねた旧藩士たちは城跡に桜を植樹し、城下町にあった門を移すなどして公園として整備したことでその美しさを取り戻されました。

これが現在の桜の名所と言われる高遠城址公園の始まりです。
特に白山観音から見下ろす桜と天守閣は別世界と言われています。

吉野山

 

奈良県吉野郡吉野町にある吉野山は、延々と尾根が続く山稜に桜が点在していることで知られています。
古くから桜の名所と呼ばれ、現代でも桜が咲く頃になると行楽客で賑わいます。

「一目千本」といわれる桜の名所

吉野山は30,000本もある桜の木が、「下千本(しもせんぼん)」中千本(なかせんぼん)」「上千本(かみせんぼん)」「奥千本(おくせんぼん)」と呼ばれるエリアにところ狭しと植えられています。
延々と尾根が続くような特殊な地形も相まって、一目千本と呼ばれるほど美しい桜を拝むことができます。

山の尾根に沿って咲き誇る桜は、他の地域では見ることのできない美しさです。

豊臣秀吉も愛した桜の名所

吉野山に桜が多い理由は、桜が蔵王権現の神木であるとされたことにあります。
当時、蔵王権現に祈願する際に神木とされる桜の苗を寄進することが最善の供養となる風習があったため、平安時代から多くの桜が植えられるようになりました。
その結果、吉野山には無数の桜が咲くようになったのです。

また、戦国大名の豊臣秀吉が5,000人も引き連れて桜見物をしたという逸話も残っています。
この歴史的な逸話からも、吉野山の桜がいかに愛されていたか、という歴史の深さも感じることができるのが吉野山の魅力なのではないでしょうか。

まとめ

桜は日本の花として知られ、毎年多くの方が花見を楽しんでいます。
みなさんは昼に見る桜と夜に見る桜、どちらが好きですか?

夜桜を楽しめる場所は各地にあることでしょうが、中には「日本三大夜桜」と呼ばれる名所もありますよ。

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