温泉のマークは「♨」だけかと思いきや他にもある?!この「♨」の歴史は江戸時代までさかのぼる!!

温泉マークですっかり定番のものといえば「♨」ですよね。
この温泉マークは日本の温泉を象徴とするマークとして定着しており、その起源は江戸時代にまでさかのぼるとされています。

しかし近年、印象深い「♨」以外の温泉をあらわすマークも登場したのだとか。
ここでは、従来の温泉マーク「♨」の由来と、新しい温泉マークについてご紹介させていただきます!

温泉のマークのはじまりはどこから?由来とされる3つの説

そもそも温泉マークはどこから始まったものなのでしょうか?
まずはその起源とされる3つの説をご紹介します。

1.磯部温泉起源説

温泉マークの起源とされる1つ目が、群馬県にある磯部温泉に由来されるものです。

時代はさかのぼること1661年、農民の土地争いを収めるため江戸幕府から出された「上野国碓氷群上磯部村と中野谷村就野論裁断之覚」の添付図で、温泉マークにそっくりの記号が描かれていました。
これが温泉をあらわすマーク「♨」の始まりではないかとされています。

磯部温泉は「♨」を日本で最初に使用した場所として、磯部公園内にある赤城神社に「温泉記号発祥の地」という記念碑が祀られています。
この記念碑には、江戸幕府から出された添付図に描かれた記号を拡大模写したものが描かれています。

2.別府温泉起源説

温泉マークの起源の2つ目が別府温泉起源説です。

別府温泉に移住した「油屋熊八」という人物が、温泉マーク「♨」をそのシンボルとして愛用したことで一般に広めたとされています。

明治時代末期の1911年、油屋熊八は別府温泉に移住し亀の井旅館という温泉旅館の経営を始めました。
別府温泉を盛り上げるための活動をしてきた彼が開催したイベントのひとつが「全国大掌大会」というものです。

このイベントで人の手形から温泉マークを思いついたのが「♨」の元とされています。
そして油屋熊八は、自身の経営する旅館や別府温泉を盛り上げる活動をする際、この温泉マークの入った法被や名刺を用いるようになったのだとか。

ところが油屋熊八が思いついたという説には大きな問題があります。
実は温泉マークの「♨」は、1895年「明治28年式地形図図式」という地図にすでに採用されていたとされます。
既に実用されているマークなので、油屋熊八が思いついたというのは違うのでは?と言われています。

しかし今日まで「♨」というマークが広く浸透しているのは、油屋熊八が行事ごとなどがあると必ず「♨」を用いていたからだともいわれています。

3.ドイツ起源説

ドイツで生まれたという説もあります。

考案者は不明なものの、19世紀に作成されたドイツの地図にはすでに「♨」と類似したマークが描かれていたとされています。

それを、当時の参謀本部陸軍部測量局が明治12年に仮製図した地図に使用し、明治18年に正式に採用されたのだとか。
日本では当時、ドイツから測量を学んでいました。
そのため、現地から伝わったマークなのではないかといわれています。

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