「ちやほや」は、あれこれと周囲が機嫌をとったりすることを指す言葉です。
その語源は「蝶よ花よ」という言葉にあるとされています。
そこでここでは、「ちやほや」の意味や言葉の成り立ちについて、類義語などと併せて見ていきましょう。
目次
「ちやほや」とは
まずは「ちやほや」とはどういう言葉なのかを見ていきましょう。
「ちやほや」の意味
「ちやほや」とは、相手の機嫌をとることを意味する言葉です。
特に周囲があれこれと甘やかす様子を指す言葉で、口に出してとにかく褒めることなども意味する言葉となっています。
機嫌をとったり甘やかしたりするだけではなく、それに付随して「大切にする」という意味合いが含まれます。
「ちやほや」の類義語
「ちやほや」の類義語は多々あります。
例えば「甘やかす」「もてはやす」「称える」などが類義語としてあげられます。
これらの言葉はただ相手を評価するというよりも、必要以上に評価して持ち上げるようなニュアンスも含まれています。
「ちやほや」の語源は「蝶よ花よ」
「ちやほや」の語源は「蝶よ花よ」という言葉にあるとする説があります。
「蝶よ花よ」の用いられ方
「蝶よ花よ」は、もともと「蝶よ花よと大切に育てられる」というような用い方をする言葉でした。
そう、もともと子育ての様子を表現する言葉なのです。
「大切に大切に育てている」というニュアンスでありますが、その一方で過保護なことを皮肉ったりする際に用いられることもあります。
「蝶よ花よ」の元になったのは超有名一族の娘の和歌
「蝶よ花よ」の語源は、平安時代に詠まれたある和歌にあります。
その和歌を詠んだのは、平安貴族として藤原氏の最盛期を築いた藤原道長、その姪で一条天皇の后の定子です。
その和歌は以下のものです。
みな人の 花や蝶やと いそぐ日も わが心をば 君ぞ知りける
「世間の人がみんな花や蝶やといそいそと美しいものに浮かれる日も、あなただけは私の本当の気持ちを知ってくれているのですね」という意味が込められています。
さらに意訳すると「落ちぶれた自分を捨ててみんなが今をときめく人に走り寄る日も、あなただけは私の心の底を誰よりも知っているのですね」となります。
もともと定子は、一条天皇の妃としての幸福な生活を送っていました。
しかし、激しい政権争いによって悲運の皇后としての暗く寂しい境遇に陥ってしまいます。
この際、定子の女房(女官)であった清少納言が慰めの和歌を詠んだのですが、中宮定子はその返歌としてこの和歌を詠んだとされています。
「蝶よ花よ」は江戸時代に「ちやほや」に変化した
中宮定子が詠んだ一節「花や蝶や」は、その後は日常語として用いられるようになりました。
そして江戸時代、蝶と花が入れ替わって「蝶や花や」になったとされています。
更に、それが略される形で「ちやほや」という言葉で広まっていきました。
「蝶や花や」が「蝶よ花よ」に変化したのは明治に入ってからと言われており、「蝶よ花よ」よりも先に「ちやほや」という言葉は出来たようですね。
同じ機嫌を取る「ゴマをする」とはどう違う?
「ちやほや」と同じく機嫌をとるという意味で「ゴマをする」という言葉も使われますが、この2つ言葉には違いもあります。
では「ちやほや」と「ゴマをする」はどう違うのでしょう?
「ゴマをする」相手は目上の人
「ゴマをする」は人に気に入られようと振舞ったり、お世辞を言ったりすることを指します。
「ちやほや」は、相手が自分より立場の弱い人(より若い人など)の場合もあります。
しかし、「ゴマをする」は、借りがあるなど一時的にでも、相手が自分より立場が上の人に対してご機嫌取りをすることを指します。
「ゴマをする」のは自分への見返りが目的
「ゴマをする」は、自分への見返りが目的という点も特徴的です。
「ちやほや」はただ単に甘やかすだけで、自分にメリットが特にないこともあります。
しかし、「ゴマをする」は後々自分に見返りを期待しているという下心があるのです。
「ゴマをする」は、あくまでも自分の利益を得ることを目的に、他人にへつらっているのです。
まとめ
「ちやほや」はもともと「蝶や花や」が語源で、平安時代に一条天皇の后の定子によって詠まれた和歌の一節から来ました。
現代では周囲の人が過度に持ち上げて、機嫌をとったりすることを指す言葉となっています。
似たような意味を持つ言葉として「ゴマをする」というものもあるのですが、これは利益など見返りを求めて立場が上の人に対して使う言葉です。
厳密には立場が下の人にも使う「ちやほや」とは、用い方が異なります。