募る思いをあらわす際に使われる「一日千秋」の意味は?読みは「いちじつせんしゅう」と「いちにちせんしゅう」どっち?

一日千秋は、1日がとても長く感じることをあらわした言葉です。
特に待ち遠しい感情をあらわした表現となります。
ところでこの言葉、読みは「いちじつせんしゅう」と「いちにちせんしゅう」どちらなのでしょうか?
そこでここでは、一日千秋がどのような言葉なのか解説します。

「一日千秋」とは

まずは、一日千秋が何をあらわす言葉なのかを見ていきましょう。

「一日千秋」の意味

一日千秋は、非常に待ち遠しいことの例えです。
待ちわびる期間がとても長く感じられる表現として使用されます。

思いを寄せる相手が早く来てほしい・会いたい、もしくは物や時が早く来て欲しいと願う気持ちが非常に強いことをあらわす言葉となっています。

「千秋」は1,000年の意味

一日千秋の「千秋」は、1,000回過ぎ去る秋という事です。
つまり1,000年に相当しますので、ものすごい長い期間をあらわす例えとして用いられています。

一日千秋は、1日が1000年かのように思われるほど、待ち遠しい気持ちをあらわす表現という事になります。

「一日千秋」の読みは?

一日千秋は、「いちじつせんしゅう」と読むのが一般的です。
時に「いちにちせんしゅう」と読まれることもありますが、これは誤読でないともされます。

そのため、「いちにちせんしゅう」も「いちじつせんしゅう」も全く同じ意味の語と捉えてしまって問題はないかもしれません。
とはいえ、一般的には「いちじつせんしゅう」と読むので、間違いと指摘されることもまた誤りではないようです。

元々は「一日三秋」だった?

一日千秋はもともと一日三秋だったとされています。
ここからは、そんな「一日千秋」の伝来について見ていきましょう

「一日三秋」も意味は同じ

一日三秋もまた、早く会いたい願う深く思う気持ちをあらわす言葉です。
一日千秋と全く同じ意味合いで用いられる言葉となっています。

この「一日三秋」は、中国で最も古い詩編とされる「詩経」にある『王風・采葛』における
彼采蕭兮。一日不見、如三秋兮。(彼かのよもぎを採る。一日見ざれば、三秋の如し。)
から来ているとされます。

「三秋」があらわす期間は?

「三秋」は、幾通りかの解釈がされています。
ひとつは、秋季の3ヶ月、もうひとつは三度秋を迎えることつまり3年です。

「三秋」がなぜ「千秋」になった?

中国における「一日三秋」という言葉を由来とする「一日千秋」。
これは、日本で用いられるうちに、恋焦がれる意味を強調するために変化したとも考えられています。

「一日千秋」の対義語

ここからは、「一日千秋」の対義語について見ていきましょう。
「十年一日」や「光陰矢の如し」が対義語として挙げられます。

十年一日

十年一日とは、長い年月の間変化しないで同じ状態であることの例えです。
まったく変化することなく年月が経った様子をあらわします。

光陰矢の如し

「光陰矢の如し」は、月日の経過は飛ぶ矢のように早いことをあらわしたことばです。
あっという間に過ぎていく月日の表現として使用されます。

また、あっという間に過ぎ去ったその日々は二度と戻ってこない、ということもあらわしています。

まとめ

一日千秋は、とても待ち遠しいことを表現する際に用いられる言葉です。
1日が1,000年とも感じられるという感情をあらわしています。

元は中国の「一日三秋」だったものが、強調されて「千秋」になったのだとか。

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