人を正しい方向に導いて悟らせることを「啓発」と言います。
これら「啓発」は人が気づかずにいることに対して教えを説き、より高い認識・理解へと導くことを意味する熟語です。
今回はそれら「啓発」という言葉について解説します。
併せて日常生活でもよく耳にする「自己啓発」などについても説明するので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「啓発」とは
まずは「啓発」の意味について見ていくようにしましょう。
「啓発」の意味
「啓発」とは人を導いて悟らせることを言います。
これらは人が気づかずにいることに対して教えを説き、より高い認識・理解へと導くことを意味する言葉です。
教え導くことを言う「啓」と明らかにすることを言う「発」を組み合わせた言葉となります。
「啓発」の類義語
では「啓発」にはどのような類義語があるのでしょうか?
「啓発」の類義語には「教化」や「啓蒙」があります。
これらの意味についても見ておくとより理解が深まります。
教化
「教化」とは教え導くことで善の方向に進めさせることです。
これらは人に対して教え導くというところが「啓発」と重なります。
ちなみに「教化」は仏教用語の1つです。
事実、仏教では人に教えを説いて感化させることを言います。
さらにそこから仏道に導くことも意味する言葉となります。
啓蒙
「啓蒙」とは無知な人に知識や教養を与えて正しい方向に教え導くことです。
こちらも人に対して教え導くというところが「啓発」に通じます。
特に第三者に知識や教養を与えるというところが共通していると言えるのではないでしょうか。
「啓発」の由来
では「啓発」はどこから来た言葉なのでしょうか?
ここからはそれら「啓発」の成り立ちについてまとめます。
「啓発」は論語の一節から
「啓発」は「論語-述而」にある孔子の言葉から来ているとか。
そこには「憤せざれば啓せず、悱せざれば発せず」とあります。
「憤せざれば啓せず」には「学問に対して奮い立つの情熱がない者には教え導くことはしない」という意味があるそうです。
「悱せざれば発せず」には「理解できないことを口に出せず、もどかしく思うほどの積極性を示さない者にも教えることはしない」という意味があるようです。
つまり、孔子は理解しようとする情熱を持つ者にしか教えないことを言っているということになります。
また、理解できないことも積極的に学ぼうとする者にしか教えないとも言っています。
それら孔子の言葉から「啓発」が生まれたわけです。
「啓」と「発」それぞれの意味
より「啓発」を理解するには分解するとわかりやすいです。
「啓」は理解に向けて導くことを言います。
「発」ははっきりと理解させることを言います。
要は理解させることを目的として導くことを言う言葉です。
そこから「啓発」という言葉が生まれたと言えます。
啓発を用いる「自己啓発」
最後に現代でよく目にする「自己啓発」とはどのようなものなのか、その点も併せて見ていきましょう。
「自己啓発」とは
「自己啓発」とは本人の意思によって自身を高め、成長を目指すことを意味します。
通常の「啓発」は無知な人に対して行うことを意味します。
しかし「自己啓発」は自ら学んで成長していくことを意味するわけです。
そこは両者の大きな違いと言えるかもしれません。
要は自ら何か目標を見つけて高めていくことを「自己啓発」と呼ぶわけです。
「自己啓発」とよくされるテーマ
では「自己啓発」にはどのようなテーマがあるのでしょうか。
これら「自己啓発」のテーマとしては成功哲学・意識改革・能力開発・目標達成などがあります。
要は自己実現のために行うもの全般が「自己啓発」のテーマとなるわけです。
昨今は意識高い系の人が行うこと全般を意味することもあります。
特に自分を磨くために意識を高めていくことを「自己啓発」と表現することが多いです。
まとめ
「啓発」は人を正しい方向に導いて悟らせることです。
特に人が気づかないようなことに対して教えを説き、高い認識・理解へと導くことを意味する表現となります。
「自己啓発」はそれら「啓発」を自ら行うことを言います。
近年は自分磨きのために行うこと全般を「自己啓発」と表現することも少なくありません。
そこは両者の意味を併せて覚えておきましょう。