「論語読みの論語知らず」とはどういう意味?読んでるのに知らないことをあらわすとはどういうこと??

「論語読みの論語知らず」とは、特定の人に対して皮肉として用いられることのある言葉です。
そして、この皮肉を向けられるのは、せっかく学んだことを活かせていない人です。

古代中国で生まれたとされているこの言葉について、ここではその意味や成り立ちについて解説します。

「論語読みの論語知らず」とは

 

まずは、「論語読みの論語知らず」の意味や類義語について見ていきましょう。

「論語読みの論語知らず」の意味

「論語読みの論語知らず」は、勉強したので知識は有していても、それを実際の行動に移せない事や実践はしないことの例えです。
また、知識はふんだんに持っていても実力を伴わない人の例えとしても使われます。

特に前者の場合は、行動に移せていないことを揶揄したり皮肉を込めた表現として用いられます。

「論語読みの論語知らず」の類義語

類義語の多くは、後者の知識に対して実力を伴わないという意味合いのものが多いです。

医者の不養生

「医者の不養生」とは、立派なことを言っているのに、行動がそれと一致しないことの例えです。

医者は、患者に対して健康に気を付けるため休養や養生の大切さを頻繁に口にします。
しかし、患者が来るため忙しいので休む間もないという医者の様子から生まれたとされます。

坊主の不信心

「坊主の不信心」とは、人には立派なことを言うけれど、実行が伴っていないことの例えです。
坊主つまり僧侶は、仏の教えに帰依し仏道を説く存在ですが、説法をしている僧侶が仏の事を信じていないというあるまじき存在という事でこの例えが生まれました。

「論語読みの論語知らず」の由来

 

「論語読みの論語知らず」の由来ともいえる出典は判明しています。
ここからは、「論語読みの論語知らず」の成り立ちについて解説します。

そもそも「論語」とはなに?

「論語」とは、儒教の考えの一番根本となる書です。
古代中国春秋時代、紀元前5世紀に生きた儒教の祖「孔子」と、その弟子達との問答や孔子の行動についてまとめられています。

儒教は中国の歴史上、非常に重要な立ち位置にある思想です。
また、中国の周辺国にも影響を与えており、日本にも波及しています。
五常といわれる「仁・義・礼・智・信」の徳性と、五倫という「父子・君臣・夫婦・長幼・朋友」の関係を維持することを重要とする考えです。

論語が日本に伝わったのは飛鳥時代とされ、貴族が学ぶべき知識とされてきました。
さらに鎌倉時代に伝来し、江戸時代には正学とされた「朱子学」という儒教の学問体系では、「孟子・大学・中庸」という儒教の書と合わせて「四書」と総称される事もあります。

「論語読みの論語知らず」の成り立ち

「論語読みの論語知らず」という言葉の出典は、「論語序説」にあります。
この書は、前述の朱子学という学問体系をまとめた「朱子(朱熹)」という人物によってまとめられました。

儒教における中興の祖ともされる朱子は、孔子の時代から1500年ほど後となる12世紀の人物です。
朱子により注釈が入れられた、四書を中心とした学問が朱子学です。

本来、論語の中に編纂されることの経緯などを記した序説はありませんでした。
そこで朱子は、注釈を加えた際に孔子の来歴などをまとめた文章を序説として加えました。
これが「論語序説」です。

「論語読みの論語知らず」の元となっているのは、この論語序説の終盤にある以下の文です。

程子曰。讀論語、有讀了全然無事者。有讀了後、其中得一兩句喜者。有讀了後、知好之者。有讀了後、直有不知手之舞之足之蹈之者。

特に太字箇所の「讀論語、有讀了全然無事者。」が原型となっています。
この箇所だけを訳すと「論語を読み終えて、何も感じるものが無かったものは、書かれていた内容の真意がわかっていない」となります。

たしかに、例えとしての「論語読みの論語知らず」に通じるものがありますね。

「論語」から生まれた言葉

 

中国やその周辺国に大きな影響を与えた論語。
この論語から派生した語は多くあります。

ここからは、その中からいくつかの言葉をご紹介します。

一を聞いて十を知る

「一を聞いて十を知る」は、物事の一部やはじまりの部分を見聞きしただけで、その全てを察したり理解できる人物の例えです。
非常に優れた人や、その道に精通した人、あるいは天才に対して使われることが一般的です。

この言葉は、論語の中で孔子が優れた弟子を評する際に違う弟子が発した言葉として伝わっています。

ある時、孔子は子貢という弟子に「君と回(その場にいない孔子の弟子)、どちらが優れているか」と聞きました。
子貢はすぐさま「回と私では比べ物になりません。」と答え、更にこう続けました。
「私は一を聞いて二を知る程度ですが、回は一を聞けば十を知ることができます。」
つまり、回という弟子がいかに優れているかを例える際に用いられたのが「一を聞いて十を知る」なのです。

ちなみに、孔子は子貢の回答を聞き、「そう、その通りだ。そして私も回には到底及ばないよ」と返しています。
回という弟子は、孔子もその才能を認めた優れた弟子なのです。

過ぎたるは猶及ばざるが如し

何事も程度が重要であり、やりすぎるものいけないし、少なすぎたりするのもよくない、という例えで用いられるのが「過ぎたるは猶及ばざるが如し」です。
この言葉は、論語の中で孔子が2人の弟子のどちらが優れているかと尋ねられた際の返答が由来となっています。

ある時、「弟子の師と商はどちらが優れているか」と孔子に対して質問をした人物がいました。
その時孔子は「師はやりすぎるきらいがあるが、商は控えめすぎる」と返しました。
「それは師がより優れているという事でしょうか?」と質問を重ねると、「やりすぎるのも控えめすぎるのもどっちもどっちだ」と返されました。

才能に鼻をかけてもしまうのもよくないし、謙虚すぎるのもよくない。
中庸であることが重要なのだ、という事を説明するためのくだりとして書かれています。

まとめ

「論語読みの論語知らず」は、学んだ知識を、実践に移せていない人の例えとして用いられる言葉です。
勉強しただけでそれを全く活かせていないねという強い皮肉が込められています。

この言葉は、儒教を中興した朱子という人物が論語の序説として書き加えた一文が由来となっています。

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