自分が小学生の時に先生が言っていたことって、大人になってからも鮮明に覚えていたりしますよね!?
今回、小学校の時の担任が語った「個性」についての例え話が分かりやすい!と、Twitterで話題になっている投稿がありましたのでご紹介します。
「例えばこのクラスのみんなが『晴』という漢字を書いても線のとめかた払いかたは絶対に同じにはならない。それが個性です。みんなが『晴』と書く中で『雨』と書いて、僕はみんなと違うんだ!すごいだろう!!と言ってもそれは個性とは認められません」という小学校の担任の先生の話はよく覚えている
— 原田 (@harudajin) 2015, 11月 28
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「個性」とは?についての例え話なのですが、とても分かりやすい例えですね。ただ、個々によって解釈の仕方はいろいろとわかれそうですね。どこまでを「個性」とするか?という問題もあると思います。
(このツイートに対して寄せられていた声)
@harudajin 全体主義と言うわけでは無いんですが、同じ制服を着ても人それぞれ違いますよね。むしろ、大勢で同じ行為をすると、それぞれのクセが出て個性がわかります。安易に人と違う事をして「これが私の個性です」と言うのは、それは少し違うんじゃないのか?と思います。
— グリーン蒼山 (@0323Step) 2015, 11月 29
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この例えは素晴らしいな。若い時は履き違えるんだよねぇhttps://t.co/c7ZnhEx5E7
— III号戦車 エネルギー充填率30% (@tokkun01) 2015, 11月 29
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これは分かりやすい例え!反社会的性質、非同調性、天の邪鬼、我が侭。これは個性ではなく単なるカオス傾向。自由の意味をはき違える無責任な人間にこういうの多い。 https://t.co/our8yoci15
— 押し目犬 (@inukendog) 2015, 11月 29
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@harudajin @hanemiya それは一概には言えないんじゃないかな。皆が「晴」と書くに至る経緯によるのでは? 例えば「好きな天気を書きましょう」という課題に対して皆が「晴」と書く中で少数の人が「雨」と書いたらそれは立派な個性として認めるべき。別に凄いわけではないけど。
— 松丘亭 小音汰。 (@ko_neta) 2015, 12月 1
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@harudajin 絵画的な書道芸術と、日常筆記とでは重点の置き場所が違う。書道芸術での自由な表現と、読みやすさを重視する日常筆記とは分けて考えるべきである。書道芸術なら個性はあってしかるべきだが、日常筆記には署名以外では個性はいらないのである。
— Takashi NISHIIE (@takashi_nishiie) 2015, 11月 29
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なるほど
ルールから逸脱した行為は個性ではないということか
あくまで個性はルールの中で見出されるもの… https://t.co/VzYYCBpBJj
— 前田陸渡 (@rikutix_good) 2015, 11月 29
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実にさまざまな意見が寄せられています。皆さんは「個性」について、どのように思われますか?
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