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“戦後70年たった今も続く”米軍隊員と大阪の児童養護施設の子供たちとの交流が話題となっているのでご紹介します。
サンタさん今年も来た 米兵と交流70年近く 大阪の児童養護施設(産経新聞) - Yahoo!ニュース https://t.co/2hy4HA5RJJ #Yahooニュース
— fortune優@マリアテレジア (@rennonmamachan) 2015, 12月 24
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大阪市東住吉区の児童養護施設「聖家族の家」で暮らす子供たちと米軍隊員との交流が戦後70年たった今日も続いているといいます。
児童養護施設「聖家族の家」
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目次
毎年12月に隊員が来日。クリスマスにはプレゼント
毎年12月になると米軍隊員が来日。今年も21日から訪れているそうです。一週間にわたって子供たちと寝食をともにして親睦を深め、25日に行われるクリスマス会では、隊員がサンタクロースに扮して、子供たち一人ひとりにプレゼントを渡しているといいます。
きっかけは、一人の元米兵と日本の戦災孤児たちとの出会い
戦後の混乱がまだ続く昭和24年、大阪市東住吉区にあった旧日本軍の兵舎を利用したバラック小屋の施設(戦災孤児救済のために作られた児童養護施設「聖家族の家」)では、外国人の修道女(シスター)らが戦災孤児たちの世話をしていたといいます。
そして、その近くに駐屯していたのが「米陸軍第27歩兵連隊」。この部隊のヒュー・オライリー軍曹(当時35歳)が、同年のクリスマスに仲間の兵士とともに、聖家族の家を初めて訪れたそうです。
しかし、そこで見たものは孤児院とは名ばかりで、荒れ果てた家があるだけ。戦災で家族を失った子供たちの悲惨な生活を目の当たりにし、心を痛めたオライリーさんは隊員たちに呼びかけ、食糧や毛布、石炭などの物資の援助を開始。また、同年の12月には、子供たちを部隊のクリスマスパーティーに招待。これが交流の始まりとなったそうです。
オライリーさんは、お菓子をポケットいっぱいに詰め込んで施設を訪問しては、子供たちと遊んでいたといいます。戦災孤児にとっては、父親のような存在だったと施設の卒業生は声をそろえます。
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部隊が引き上げた後も援助は続いた
朝鮮戦争に従軍するために25年に日本を引き揚げた後も、本拠地のハワイに帰ってからも部隊による援助は続いたといいます(これまでの約70年間での総額は2億円以上)。また、昭和32年からは子供たちを毎年ハワイに招待。隊員の家にホームステイするなど交流を深めているそうです。さらに、隊員の紹介などで100人超が国際養子縁組で米国へ渡っているといいます。
オライリーさんの遺志が引き継がれている
創始者だったオライリーさんが2006年に91歳で亡くなった後は隊員OBや現役隊員らが遺志を引き継ぎ、活動を継続しています。
オライリーさんについて報じる当時の新聞(2006年)
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(この件に対して寄せられていた声)
・うちの母が結婚前に働いていた施設にも、毎年米国軍人の慰問があったそうです。時代を越えて続く支援は素晴らしいです。
・子供らと1週間、寝食をともにして25日のクリスマス会では「サンタクロース」役として隊員家族からのプレゼントを子供達に手渡す…。なんて素晴らしい交流なんだろうと思う。
・悪い事ばかりをクローズアップするのではなく、こういう心温まる話をもっと取り上げて欲しい。
・この交流を知ると、国家間の利権争いや宗教対立がなんて愚かなんだとしみじみ思うな。
・素晴らしい。70年も、さらに現在も続けてくださっていることに、当事者ではありませんが深く感謝します。
・受け継がれていく想いに泣いてしまった。
・このように日本に貢献してくれる人が居ることを忘れてはいけない。私は東日本大震災で見た、怪我した人の荷物を身振り手振りで手助けしようとしている米軍兵を忘れられない。
戦後、絶望の中にあった子供たちに希望を与えていただき、そして、その支援が今も続いていること。戦後から70年も続いているこの取組みには、感謝してもしきれません。
最後に、オライリーさんの言葉をご紹介したいと思います。
困窮している子供たちの状況を見たら、誰もが私と同じことをしただろう。