お月見を楽しむ行事の「十五夜」。
その歴史はどこまで遡るのでしょうか。
そこでここでは、「十五夜」の始まりについて解説します。
目次
「十五夜」の由来
「十五夜」は日本独自の風習ではありません。
まずはその原型や、日本伝来時期について見ていきましょう。
原型は古代中国で始まった「中秋節」
「十五夜」の原型は、古代中国で成立し現在まで伝わる「中秋節」とされます。
中秋節があるのは旧暦8月15日で、春節・端午節などと並ぶ中国の代表的な節句のひとつとされています。
中秋節の原型となる風習が生まれたのは、古代中国・秦の時代より以前。
それが漢の時代には民衆に広まり、唐の時代には現在のように旧暦8月15日の行事になったともされています。
現在の中国でも「中秋節」は祝日とされており、現地では月を眺めながらお茶やお餅を食べるという行事として親しまれています。
中秋節の食べ物としては、月を象ったお菓子の月餅があげられます。
貴族文化に取り込まれた「十五夜」
中秋節は、平安時代に日本に伝来したとされています。
当時は貴族階級が楽しむ行事で、月を見ながら酒を酌み交わしたり、舟に乗って詩歌や管弦を楽しむという風流な催しとされていました。
それが江戸時代に入ると、庶民にも広まっていきました。
「十五夜」とは
中国から伝わった中秋節が、日本では十五夜として定着しました。
「十五夜」があるのはいつ頃?
十五夜があるのは、旧暦の8月15日です。
現在のカレンダーに置き換えると、おおよそ9月下旬~10月上旬の間となります。
「十日夜」「十三夜」とは
十五夜には、セットとさせる「十日夜」「十三夜」という行事があります。
それぞれどのような行事なのかを見ていきましょう。
「十日夜」とは
十日夜は、旧暦10月10日に行われるお月見行事です。
「刈り上げ十日」とも呼ばれ、その年の稲の収穫に感謝したり来年の豊穣に祈ったりする行事となります。
この行事は、特に東日本で行われて来ました。
「十三夜」とは
十三夜は、旧暦9月13日に行われる「お月見行事」のことです。
「後の月」とも呼ばれ、同じく稲作の実りに感謝しなが月を愛でる行事です。
「中秋の名月」とも呼ばれる十五夜だけ、もしくは十三夜のお月見だけをする事を「片見月」といって縁起が悪いとされ、「十五夜」と「十三夜」はセットで行うべきされています。
「十五夜」の定番のお供物
十五夜でお月見をする際の定番のお供えとして、「月見団子」「里芋」「ススキ」があげられます。
月見団子
十五夜のお供物として一番定番ともいえるのが「月見団子」です。
この月見団子は、丸い団子を月に見立てたもので、お供えする数は「十五夜」にちなんで15個。
それを、三方という台にピラミッド状にのせます。
また、その形状は地域性があり、静岡県では団子の真ん中を凹ませたものが、名古屋では団子を雫型にした団子が、関西では雫型にした団子にあんこを巻いたものが伝わっています。
里芋
「十五夜」には、里芋や栗といった旬の野菜や果物がお供えされることもあります。
これは、「十五夜」の風習が庶民に広まった結果、豊作に感謝するという意味合いが込められたためともされています。
旬の野菜のお供え物としては、特に里芋が代表的で「芋名月」という別称が十五夜にはあるほどです。
これはその年に収穫した里芋をお供えしていたことから来た名称となります。
ススキ
秋の七草の1つとなるススキもまた、十五夜にお供えをする定番の植物です。
これは、十五夜がまだ稲の収穫時期よりも早いため、白い尾花が稲穂に似ているススキを豊穣の願いを込めてお供えされるようになったともされています。
まとめ
古代中国で始まった十五夜の風習。
現地では、中秋節といい、現在まで伝わっています。
日本には、平安時代に伝わりましたが当初は貴族階級だけで行われ、江戸時代に入って庶民も楽しむ行事になったとされています。