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「うちは母の日、ちゃんとしてるの?」
最初の違和感は、義母の何気ない一言でした。
ある日、息子(私の夫)に向かってこう言ったのです。
「母の日って、奥さんにはお花渡すのよね?
…うちは?うちは何かあるのかしら?」
まるで「うちも何かちょうだい」と遠回しに催促されているような雰囲気でした。
夫は苦笑いしながら「考えとくよ」と返していましたが、私はその場で苦笑すらできず…。
「母の日は、 “ 子どもから母へ ” の感謝の日のはずなのに、なんで私が気を遣わなきゃいけないの?」
そう感じた瞬間でした。
義母への“母の日ギフト”が、なぜか私の仕事に?
結局、夫は何も用意せず。
「え、何か選んで送っといてくれる?」と、軽いノリで私に丸投げしてきました。
正直、納得がいきませんでした。
私から見れば義母は“夫の母”。私の“母”ではありません。
それでも、「関係を悪くしたくない」という思いから、定番のカーネーションとお菓子のセットを用意しました。
すると義母からLINEが。
「ありがとうね〜♡やっぱり〇〇ちゃん(=私)が一番気が利くわ〜!」
…いや、それって、本来 “ 息子である夫 ” がやるべきことでは?
むしろ私の気遣いに乗っかって、「もらって当然」という態度が見えてきて、モヤモヤが倍増していきました。
「私にも“母の日”ちょうだい♡」の破壊力
極めつけは、翌年の母の日。
私が子どもたちから「ママ、ありがとう!」と絵をもらって感動しているときに、義母が放った一言。
「ねえ、私にも “ 母の日 ” ちょうだい♡」
…冗談交じりとはいえ、その一言に固まりました。
「えっ、何をどう“ちょうだい”って?」
私がもらったプレゼントと、私への感謝の言葉を、まるで自分も“主役”であるかのように求めてくる。
冗談でも、図々しいとしか感じられませんでした。
誰のための“母の日”なのか
義母に悪気はないのだと思います。
でも、自分が「母」であることをアピールされるたびに思うのです。
“ 母の日 ” は感謝を伝えられる立場であって、
「自分も祝って!」とねだる日ではないのでは?
しかも、私の母には「嫁いだんだから実家は関係ないでしょ」と距離を置くくせに、
自分は “ 母 ” として祝ってもらいたがる、その都合のよさに辟易していました。
私が取った“線引き”のひとこと
そう決意した私は、夫にきっぱりこう言いました。
「母の日のことは、あなたがやって。
私は自分の母にだけ感謝したい。義母のことは“息子”のあなたが考えるべき」
夫は少し驚いた顔をしていましたが、「うん、わかった」と納得。
その年から、義母へのギフトは夫が自分で選ぶようになり、私への “ ちょうだいアピール ” も少しずつ減っていきました。
まとめ:母の日は“義務”じゃない、感謝の気持ちは自発的に
★ 義母に贈るかどうかは、嫁の義務ではなく“夫の役割”
★ 感謝は「自発的」に伝えられるからこそ、意味がある
★ 距離感を保つためにも、 “ 線引き ” の言葉は効果的!
母の日は本来、 “ ありがとう ” の気持ちを伝える優しい日。
でもそれが、誰かの「催促」や「見栄」の場になってしまったとき、
本当の意味が失われてしまいます。
“ モヤモヤを抱えたまま、誰かの期待に応える ” のではなく、
“ 自分の感謝を、自分の意思で伝える” 。
そんな“母の日”が、もっと増えてほしい。
そう思わずにはいられなかった、ちょっと苦い記念日でした。