春と秋の年2回ある「お彼岸」、その意味や詳しい時期を知っていますか?

毎年やってくるお彼岸にお墓参りを行っている方は多いと思いますが、お盆とは別にどうして行われている先祖供養なのでしょうか。
ここでは、なぜ春秋の2回あるのか、その時期やお彼岸の意味などについて見ていきましょう。

お彼岸

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お彼岸は、年に2回訪れる先祖供養の期間です。

仏事の彼岸会

彼岸会(ひがんえ)とは、お彼岸の期間に行う仏事のことです。
仏事といっても何をするかは決まっていませんので、お墓参りをされる方が多いようですね。

春と秋年2回

お彼岸は年2回あります。
春分の日と秋分の日を中日として、それぞれの前後3日間、計7日間がお彼岸です。
一年で14日間あるんですね。

7日間のお彼岸のうち、初日を「彼岸入り」最終日を「彼岸明け」と呼んでいます。

お彼岸は先祖供養

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お彼岸は普段よりも丁寧に、気持ちをこめて先祖供養をする期間です。

お盆の小規模版

お盆もお彼岸も先祖供養の期間ですが、意味が異なります。
お盆とは、この世に里帰りするご先祖様を「お帰りなさい」とおもてなしすることです。

対してお彼岸は、この世の途中まで来ているご先祖様に、こちらから「会いに来ました」といってお墓参りをすることです。
どちらもご先祖様を大切にする時期ですが、お彼岸はお盆の小規模版といったところでしょう。

彼岸団子やぼた餅・おはぎをお供え

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お彼岸にお供えするお菓子には、餅菓子がえらばれることがおおいです。
一般的には、彼岸団子といって小さなお団子をピラミッドのように積み重ねたものや、ぼた餅おはぎをお供えします。
春は、牡丹の花が咲く時期なので「ぼた餅」、秋は萩の花が咲く時期なので「おはぎ」という意味があるという説があります。

日本にしかない仏事

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お彼岸は日本にしかない仏事です。

仏教発祥の地インドにはない考え

仏教発祥の地であるインドでは、お彼岸を行いません。
日本の仏教は先祖供養を意識したものが多いですが、それは本来の仏教の考え方ではないからです。

仏教の考え方とは、人が亡くなったら「成仏する」もしくは「49日後に生まれ変わる」ため、「先祖代々の供養をする」とは話が違ってくるんですね。

日本の仏教で先祖供養を行うのは、日本人は仏教に出会う前から自然や先祖の魂に対する精神的な信仰を重要視していたからです。
そこへ仏教の教えが加わったことにより、日本独自の仏教の考え方が広まっていったのです。

彼岸会を初めて行ったのは桓武天皇

彼岸会を初めて行ったのは806年、都を奈良から京都へ移した桓武天皇です。
憤死をした弟の早良親王の祟りを鎮めるため、除霊の一環で彼岸会が行われたのです。

お彼岸の由来

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お経の一説には、お彼岸のことが読まれています。

元はサンスクリット語

サンスクリット語で彼岸は「パーラム」、渡るは「イタ―」といいます。
二つ合わせて彼岸へ渡るをあらわす「パーラミタ―」。
有名なお経である般若心境の一説にある「波羅密多(はらみつた)」のことです。

お彼岸の本来の意味

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彼岸へ渡る」とはどんな意味なのでしょう?

お彼岸の時期

お彼岸にするお墓参りは、この世に途中まで来ているご先祖様に会いに行くことです。
春分の日と秋分の日は太陽が真東から登り真西へ沈みます

あの世である極楽浄土は真西にあるため、太陽の示す道が極楽への道しるべだと考えられているのです。

仏教の考え

私たちがいきているこの世は此岸(しがん)ともいい、欲と煩悩だらけでさまざまな悩みや苦しみに耐えなければならない世界とされます。
対してご先祖様がいるあの世は彼岸といい、極楽の世界。お釈迦様は、大きな川を渡って此岸から彼岸へ行けと説きました。

しかし大きな川を渡るには、身軽にならなければなりません。
それは、持ち物や家族、全てを捨てて出家するという意味です。

まとめ

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日常の忙しさでおろそかになりがちなご先祖様と家族への感謝の気持ち。
お彼岸は、そんな気持ち思い出し、あらためて縁に感謝をするきっかけにもなるものです。

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