
「おかん、今度はメダルを持ってくるからね」
亡き母にメダル獲得を誓った、リオ五輪自転車男子ケイリン代表 脇本雄太選手(27歳)についてご紹介します。リオ五輪開幕が迫り、さまざまな競技、選手が注目をされていますが、今回初の五輪出場を果たした脇本選手の活躍にも注目です。
【 #ケイリン 】脇本雄太、亡き母の墓前でリオでのメダル誓う「おかん、力を貸してくれ」 https://t.co/X5ztbhrnwe #スポーツ新聞 pic.twitter.com/08WWeThHts
— スポーツ報知 (@SportsHochi) 2016年7月21日
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脇本選手は、2011年7月に51歳の若さで母を亡くしました。親子で夢を見続けていた五輪への出場。その夢を叶えることができましたが、五輪に母を連れていくことはできません。それでも、亡き母のためにメダル獲得を誓いました。
こちらは、五輪出場決定の際の報道。
ケイリン脇本雄太君が、リオ五輪出場決定❗おめでとうございます。亡くなった母との誓いを果たしました。母の幸子さんには私もお世話になり、感慨深いです。世界一を目指しなさいとの母の言葉を胸に頑張る脇本選手を皆さん応援してください❗ pic.twitter.com/ycgyPfxGEw
— 下畑 健二 (@shimobata) 2016年4月7日
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目次
兄妹5人を女手一つで育ててくれた
脇本選手の母は、脇本選手が小学生だった頃に離婚。兄妹5人を女手一つで育ててくれたといいます。「すごく貧乏だった」と当時を振り返る脇本選手。それでも「母は弱音をいっさいはかず、僕たち兄妹5人を育ててくれたんです」と話すと涙をこぼしていたといいます。看護師として、寝る間も惜しんで子供たちを育てていたそうです。
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競技用の自転車は高い…でも母は40万円する自転車を買ってくれた
高校に進学して自転車部に入部。1年生は部の自転車を借りて練習するが2年生は自前。「競技用の自転車は高いんです。でも母は40万円する自転車を買ってくれました」と話していたという脇本選手。それは、子供たちに不自由はさせたくないという母の思いがあったといいます。
2010年、母が病魔に襲われる
母が病魔に襲われたのは2010年。ガンは、ものすごい勢いで若い体をむしばんだといいます。「いくらかかってもいい。高度医療とかも考えたけど、遅かった」と脇本選手は話します。亡くなった当日は、脇本選手が出走していた福井記念決勝日だったとのこと。
レースが終わるまで知らされずにいたそうです。「終わった瞬間聞かされました。でも、知っていても母なら『しっかりレースをしなさい』って言ったでしょうね」。
脇本選手は、今でも母の夢を見るそうです。「母は何も言わず僕を見て笑っているんです。声をかけようとすると目が覚める」。母は天国から片時も離れずに自分を見守ってくれている。だから、リオでは絶対にメダルを取りたいと脇本選手は誓います。ケイリンが行われるのは8月16~17日となり、日本のお盆時期にあたります。脇本選手はこう話していたそうです。
お盆の時、仏様は家に戻ってくるでしょ。母は家ではなくてリオまで来ますよ。メダルを取ったら真っ先に、「おかん、やったよ」て叫びます。
脇本選手、メダル獲得目指して頑張ってください!応援しています。お母さんにメダルの報告ができるといいですね!