「可哀想」という言葉は、時に人を傷つける。とある投書に多くの反響

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「可哀想」という言葉は、時に人を傷つける。

とある投書に多くの反響が寄せられているのでご紹介します。話題の発端となったのは、投書を紹介したこちらのツイートです。ちなみに、投書は2人のお子さんがいらっしゃる父親(40代)によるものです。


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(以下、全文掲載)

「可哀想」は時に人を傷つける

足をけがした6歳の息子が「僕、がんばって幼稚園まで歩くよ」と言った。片足を引きずりながらゆっくりと歩く息子に付き添っていたら、通りすがりのご婦人たちから「あんな足で歩かせて可哀想に」という会話が聞こえてきた。

息子に妹ができ、おむつを買いに行った。「僕が持つよ。お兄ちゃんだから」と頼もしいことを言ってくれた。任せたら「あんな小さな子どもに荷物を持たせて。可哀想に」と他人から非難された。

息子の頑張りが「可哀想に」という一言で全否定された気がした。

「可哀想に」という人は、自分が優しい人間だと思っているのかもしれない。しかし、この言葉は浅はかで無責任で、時に人を傷つけ、何も生み出さない。そのことを知ってほしい。

投稿者は、この投書を受け、このようなツイートもしています。


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「可哀想に」という言葉。自分が誰かに言ってしまったり、誰かに自分が言われたり、自分の家族が誰かに言われたり…。いろいろなシチュエーションで耳にする言葉かとも思います。確かに「可哀想」と深く考えずに相手に言ってしまったり、「可哀想」と言われて、逆にもっとむなしくなった…。そんな経験は多くの人がしているのではないでしょうか。

この投書に対しては、とても多くの反響が寄せられていました。


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普段、無意識に使っている言葉の中に、相手を傷つけてしまっている言葉もあるかと思います。言葉には力があります。1つの言葉で勇気づけられたり、逆に落ち込んでしまったりもします。相手の気持ちを考えること、その上で言葉を選ぶこと。常に頭の片隅に入れておきたいですね。


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