「人見知りなんで…」はガキだけに許された言葉
ミュージシャンのGACKTさんが6月18日、自身のブログを更新。「人見知り…」とエントリーし、人見知りに対する見解を綴ると、多くの共感の声が寄せられるなど話題となっています。
同日、仲間たちと朝までミーティングしてヘロヘロになっていたというGACKTさん。仲間のひとり、ツアードラマーのバルさんについて「元々全然口数の少ないオトコな上に、以前は極端に人見知りのタイプだったのでコミュニケーションを取ることが最初は大変だった」と述べます。
目次
【人見知り】という言葉を使っても許されるのは…
そんなバルさんの話を皮切りに、独自の見解を展開。「キツイ言葉かもしれないが【人見知り】という言葉を使っても許されるのはせいぜい20代前半までだろう」と冒頭で断言。
一方で、自身も人見知りだったと明かします。
そう言う当のボクGACKTも極端な人見知りだった。
ボク自身も20代は本当にオトコ友達を作ることはしなかった。
それが必要だとも全く思っていなかったし、別に仲のいい少人数の仲間とだけつるんでいればいいと思っていた。
もちろん、その考えが完全に間違っているというわけじゃない。
だが、この考え方だと自分が何かの仕事を始めたり、組織を作っていったりまとめたりすることは限りなく不可能と言える。
結局、仕事とは人が絡むもの。
人とコミュニケーションが取れて初めて仕事を運営し大きくしてトラブルを解決して行くことができる。
仕事を受けるだけで何も作り出すことのない、いわゆる一人で成り立つ【受注スタイル】であれば、
別にコミュニケーションを取らないスタンスでもいいのだろうがそれは生産性が伸びるわけでもない。自分で仕事を始めたり、その仕事を大きくしていく上ではコミュニケーションを取ることは必要不可欠なわけだ。
コミュニケーションが必要不可欠な理由を述べ、さらに見解は続きます。
『人見知りなんで・・・』などという言葉は、ガキだけに許された言葉だと思っておく方がいい。
大人になるということは、多くの責任を負うということに繋がるが、多くの不特定多数とコミュニケーションを取ることもまた、大人になることの必要条件なのだろう。
コミュニケーションを他者と取らないということは【社会】においてある種の責任を放棄していることに繋がる。ボクもそのことに気がついたのが20代の終わりだったので他者とコミュニケーションを取ることにかなり苦労した。
今でこそ、多くの人と話せるようになったものの、けっして未だにそれが得意というわけではない。
あくまでも少しまともに話せるようになっただけで得意と言うには程遠い。
【大人になる】ためには超えなければならないハードルが想像以上にたくさんある。それを楽しめるようになればいわゆるカッコいい大人なのだろう。
すべては「自分次第」
GACKTさんは、昔から大勢の人が嫌味の様にいう言葉として【出来る人は出来るし、出来ない人は出来ない】という言葉を挙げます。この言葉に対して事実と認めながらも、【出来る】という言葉に対しての認識について言及します。
【出来る】とは何に対しての言葉なのか?この認識が恐らく違う。
【出来る人】とは、この峠を越えるという行為が毎回出来る人なわけだ。何事もここが一番キツいはずなのだが峠を越すまでは諦めないで必ず乗り切る。
【出来ない人】とは、何をやってもこの峠を越すということが出来ない人。
つまり、峠を越す前に諦めてしまったり、投げ出してしまったり、色んな理由をつけて辞めてしまうわけだ。
トライすることそのもの、その種類は全く関係ない。それが勉強であろうが仕事であろうが、スポーツ、趣味であろうが、恋愛における何かであろうが全く関係ない。
つまりは自分次第だってこと。
最後は、「新幹線の中でぎこちないながらも一生懸命コミュニケーションを取って来るバルに対し、『随分成長したんだな・・・』と何故か親心の様な嬉しさを感じてしまうのは歳を取ったせいなのだろうか」とし、仲間の成長に触れる喜びについて語って締めています。
この見解についてファンからは、「人見知りがないひとなんていない。さすがGACKTさんですね!」「おっしゃる通り!納得。ためになります」「人見知りな人は、そのままでも素敵だったりもしますしありのままでいいかなとも思います」「なんか突きささるものが…。明日から色々チャレンジしていこう」「苦手なことでも努力している人は、得意だから と努力しない人よりずっと輝いています」など、多くの反響が寄せられていました。
時折SNSでご自身の考えを発信されているGACKTさん。その哲学と信念、人柄は多くの人を魅了してやみません。今後も多くのシーンで活躍する姿を見せてほしいですね!