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日本医療の発展に多大なる貢献を果たされた、105歳の現役医師・日野原重明さんが亡くなられました。これまでの功績、数多くの逸話などに言及する多くの声が寄せられています。
100歳を超えて現役で活躍する医師として知られた聖路加国際病院の名誉院長、日野原重明さんが亡くなりました。105歳でした。https://t.co/gdyGL9ZmV0
— 毎日新聞 (@mainichi) 2017年7月18日
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日野原重明さんは18日朝、呼吸不全のために亡くなられました。105歳で現役の医師を続け、高齢者が活躍できる社会の在り方などについても提言を続けていました。文化勲章受章者でもあります。
民間の病院では初めて人間ドックを導入
聖路加国際病院の院長や理事長、国際内科学会や国際健診学会の会長などを務めた日野原さん。昭和29年に民間の病院でははじめて人間ドックを導入。生活習慣を改善して病気を予防するという考え方を普及させました。
また、昭和45年の「よど号ハイジャック事件」では4日間にわたり人質として拘束されました。このような経験に基づき、生と死をテーマにした執筆や講演を続け、平成13年に出版した「生きかた上手」はミリオンセラーとなりました。
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(寄せられていた声)
日野原重明さん死去 105歳 聖路加国際病院名誉院長
聖路加国際病院の増築は設備過剰と非難されたが、戦中、設備が足りずにけが人を助けられなかった思いから日野原さんは強行。しかし、それが地下鉄サリン事件の時、大量受け入れに役に立った。https://t.co/onDkyJOxp7— 酒上小琴【サケノウエノコゴト】 (@raizou5th) 2017年7月18日
日野原重明。日本で最初の人間ドックの開設、石橋湛山の主治医、よど号ハイジャック事件の人質、地下鉄サリン事件被害者の無制限受け入れetc... 生きたそのまま歴史のような人だったな。
— ライチュウ (@MaustersingerZ) 2017年7月18日
100歳を超えてなお現役を続け105歳でなくなった日野原重明先生は偉大な先駆者で、どの病室にも酸素とサクション(吸引)の配管を全て備え付け、どのベッドで容態急変が起きてもその場で緊急対応出来る病棟を日本で初めて聖路加病院で実現し、当たり前に普及させた方である。
— 9-26.way-nifty.com (@LIVE2STRONG) 2017年7月18日
日野原重明さん逝く。10年ほど前104歳まで講演予定が入っていると聞いて驚いたことを覚えています。地下鉄サリン事件ではセレブの患者さんが多い聖路加病院ですべての一般診察を中止しサリン対応に切り替えました。まさに英断でした。合掌。 https://t.co/puJgVxegZ8
— 小川一 (@pinpinkiri) 2017年7月18日
日野原さんは「医療は医師中心ではない」と提言し、看護師の教育にも注力するなどチーム医療の重要性を主張。その実践にも取り組んできました。
日本医療の発展に多大なる貢献をされてきた日野原さん。心から敬意と感謝を表するとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。