厳しい寒さがやってきたことを「冬将軍がやってきた」と表現しますよね。この冬将軍を、東北地方を代表する武将伊達政宗のことだと勘違いされる方がまれにいらっしゃるようです。
実は冬将軍に関係しているのは伊達政宗ではなく、かの有名なフランスの英雄ナポレオンなんですよ。かといって「ナポレオンがやってきた」という意味でもありません。
今回は「冬将軍がやってきた」の本当の意味と冬将軍の由来について注目しました。ナポレオンとの関係をスッキリ解説いたします!
目次
日本における冬将軍とは?
「冬将軍がやってきた」とは冬の寒さを擬人化した表現ですが、ただ寒い日がきたことをいうのではなく、シベリア寒気団という大気の塊が日本に迫ることを指しています。
シベリア寒気団の事を指す
出典:Wikipedia
日本で冬将軍といえば、秋から冬にかけてシベリアの大陸上で発生する大気「シベリア寒気団」のことを指します。
シベリア寒気団とは、冬季のシベリア地方中心に発達する寒冷な空気を持つ高気圧のことで、日本の冬の天候にかなり影響を与えます。
冬将軍が来ると
シベリア寒気団が南下してくると、つまり冬将軍が近付いて来ると、日本海で水蒸気を蓄え雲となり、日本海側には強い降雪を、太平洋側には厳しい乾燥をもたらします。
日本の冬の気圧配置が「西高東低」になるためには強力な高気圧を必要としますが、シベリア寒気団がその役割を果たしているのです。
日本の冬の気候「西高東低」の気圧配置について詳しく解説させていただいた記事がございます。こちらも併せてご覧ください。
冬型の気圧配置「西高東低」っていったい何?日本海側の積雪量が多い理由もここにあった! - FUNDO
元々の冬将軍の意味や語源
冬将軍が来た時の日本の気象状態が分かりましたね。では、なぜ冬将軍と呼ぶようになったのでしょう?
最初はナポレオンのロシア侵攻
出典:Wikipedia
1812年6月に勃発したロシア戦役では、ナポレオン率いる約60万の大陸軍がロシアへ遠征し、首都モスクワを侵攻しました。
しかし、ロシア軍の焦土作戦によりライフラインを止められていたモスクワでは、食料や物資が手に入らずに大陸軍の勢いは弱まり崩壊していったのです。さらに10月11月と月日は流れ、季節は冬。兵士の凍死者や餓死者さらには脱走兵まで相次ぎ、ナポレオンはやむを得ず撤退することになりました。最終的に残った大陸軍は5000人程だったといいます。
この戦いを語るときに「ロシア軍に負けたのではない。冬の寒さに負けたのだ。」と表現することから、ロシアの冬を「冬将軍」と呼ぶようになったのです。
ヒトラーも勝てなかった冬将軍
同じようなことが第二次世界大戦中のドイツとソ連の戦いでも起こりました。独ソ戦においても冬将軍が猛威を振るい、ドイツ軍に襲い掛かりました。また、18世紀にもスウェーデンのカール12世のロシア遠征も冬将軍により撃退されたと言われています。
このことから「ヒトラーも冬将軍には勝てなかった」と揶揄されることがあります。
ロシアの冬将軍が強すぎた
出典:Wikipedia
なんといってもロシアの冬将軍が強すぎるのです。上の画像は、フランスの日刊紙『Le Petit Journal』の表紙(1916年)で、ロシアの「冬将軍」を描いたものです。戦争の勝敗さえ左右するロシアの冬将軍。どんな軍隊でも敵わないと恐れられたことが伝わってきますね。
モスクワの12月最高気温の平均は-3度、最低気温の平均は-7.6度ですが、特に寒い日には-40度以上にもなり、その寒さはロシア人でさえ慣れないそうですよ。
英語ではGeneral Winter
英語で「General Winter」と言っていることから、日本語で冬将軍と訳されました。
世界的にも使う言葉
「冬将軍」は、世界的にも使われている言葉なんですよ。
中国や韓国でも日本と同じような使い方
韓国語では「トンチャングン」、中国語では「ドンチイバン」といい、日本と同じく厳しい寒さを表す気象用語として使われています。日本と同じく冬には冬将軍がやってくるから冷え込むぞという表現があるようですね。
まとめ
冬将軍とは日本独自の言葉だと思っていましたが、世界的に通用する表現だったんですね。しかもフランス軍の戦争が関係していたなんて驚きました。
今までは深く考えずに口にしていた「冬将軍」ですが、これからは完璧に使いこなせそうです。それだけではなく、思わず誰かに教えたくなっちゃうかもしれませんね。
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出典:Wikipedia(シベリア) / Wikipedia(1812年ロシア戦役) / Wikipedia(Russian Winter)