年の瀬の12月。年末商戦を行う店舗や企業、家庭では大掃除といった年越しの準備など、いつもに増してせわしなく動いている人を目にすることが多い月ですね。
そんな12月には「師走(しわす)」という別名があります。なぜ12月が師走と呼ばれるのか、その意味と由来をご紹介します。
目次
師走とは?
12月の旧名
もともと師走は旧暦で12月をあらわしていました。現在のカレンダーでも12月を意味する名前として使われています。
旧暦の師走と現在の師走は別
しかし実際は、旧暦と現在とでは師走を意味する時期は異なります。それは、現在の暦と旧暦では違うルールで運用されていたからです。
現在の暦は太陽の周りを地球が回る周期を基に作られているのに対し、旧暦は月の満ち欠けと太陽の動きも参考にし、「閏月(うるうづき)」を導入して季節のズレを生じないようにする太陰太陽暦によってカレンダー作られています。
例えば年明けとなる新年ですが、現在では1月1日を元日、新年の初日としていますが、旧暦では立春の時期を正月節と呼び、その頃合いを年明けとしていました。立春は現在の暦で2月4日頃なので約一ヶ月のズレが旧暦とあったというのが分かります。
ただし、立春の日を正月1日としていたのではなく、月の満ち欠けも考慮して正月は定めていた旧暦では元日が現在の1月半ばの年もあれば2月後半になる年もあり、時期は安定していません。
正月が現在と旧暦ではズレがあるのですから、もちろん年末にあたる12月もズレが発生しています。旧暦の12月、師走を現在のカレンダーでは12月の後半から2月後半までの期間が相当します。
師走の意味や由来
「しはす」とも呼ばれる師走という名前の由来はいくつか考えられています。
有名な「僧侶が走り回る」説
年末になると僧侶がお経をあげるために東西に駆け走る姿が見られるため、というのが一番有名な師走の語源に冠する説です。
この説は「奥義抄(おうぎしょう)」という平安時代の貴族「藤原清輔(ふじわらのきよすけ)」が著した書物に書かれた内容にアレンジが加えられています。
奥義抄の中では、当時年末に行われていたお経を読みその年の罪を懺悔すると共に消滅を祈る「仏名会(ぶつみょうえ)」という行事に、僧侶はあらゆる場所から声がかかるので忙しく東西に駆けまわっていたという様子から、僧侶である師が走り回る月、師走になったと記されています。
他にもある説
僧侶が走り回る以外にも師走の由来とされているのがいくつかあります。
四季が極まり果てる様子の「四極(しはつ)」から来たとされる説や、同じく歳が極まり果てる事から「歳極(としはつ)」となりそこから転じて師走になったという説もあります。
実は由来は不明?
いかにもな語源が考えられていますが、実は僧侶が走り回るや、四極・歳極を語源とする説は後付のものとされています。
実は奈良時代に書かれた日本最古の歴史書「日本書紀」の中ですでに「しはす」という言葉が出てきています。『十有二月』や『季冬』を「しはす」と読んでいましたので、日本書紀が完成した720年にはすでに現在の「師走」に対応する語があったということが分かります。
しかし、奥義抄が完成したのは平安時代後期1124年~1144年にかけてです。この時に違う説が出ているこということは平安時代までには語源に関しては不明になっていたようです。そしてもちろん現在も明確な語源はわからないままとなっています。
12月の別名はたくさんある!
極月(ごくげつ)
年の最後の月、年が極まる月で有ることから極月という別名もあります。
晩冬(ばんとう)・季冬(きとう)・三冬月(みふゆづき)
旧暦では冬を10~12月としています。その事から冬の終わりの意味で12月が「晩冬」や「季冬」、「三冬月」と呼ばれます。
春待月(はるまちつき)
12月が開けると旧暦では春となります。この事から春を待つという意味で「春待月」という名前もあります。
建丑月(けんちゅうげつ)
柄杓に見立てられる北斗七星、その柄の部分を「建」といいます。この建が12月になると北北東、昔の「丑」の方角にあることから「建丑月」という別称があります。
他の別名
・暮歳(ぼさい)・親子月(おやこづき)・限月(かぎりのつき)・暮来月(くれこづき)・氷月(ひょうげつ)・臘月(ろうげつ)・黄冬(おうとう)・弟月(おとづき)
まとめ
名前からも忙しさを感じる師走という12月の別名。この言葉は奈良時代に書かれた日本書紀に出てくるほど古い言葉ですが、逆に古すぎてその語源が不明となっています。しかし走るの文字からも年末のドタバタ感が出ていますので、「いや~師走だからね~」と言うと、いい具合に忙しいアピールはできるのではないでしょうか。