
蕎麦屋さんをはじめとした、お店の店先などに置かれていることが多い、信楽焼のたぬき。
徳利などを持って、小首をかしげている姿がかわいいですよね。
よく見かけるものではありますが、信楽焼のたぬきには一体どのような意味があるのでしょうか?
なぜ店先に置かれるようになったのか?その理由についても見ていきましょう。
目次
信楽焼とは?

まず最初に、信楽焼という焼き物について見ていきましょう。
甲賀市信楽が名産の焼き物
信楽焼は、滋賀県甲賀市信楽町で作られている陶器を指します。
国から伝統的工芸品の指定を受けている、歴史ある焼き物です。
信楽焼の歴史
信楽町で焼き物が作られるようになったのは、鎌倉時代後期。
愛知から常滑焼の技術が伝わってきたのをきっかけに壺や甕などが作られるようになり、室町時代や安土桃山時代には茶道の隆盛とともに茶人から高い人気を集め、今に至るまで珍重されてきました。
信楽焼の特徴
信楽焼の特徴は、窯で焼かれる際に炎の勢いによって灰がふりかかることで生まれる自然降灰釉(ビードロ釉)の付着や「焦げ」、土の中に含まれる鉄分が赤く発色した「火色」など、炎が生み出す独特の質感です。
日本人らしい素朴さが表れた見た目や質感が、さまざまな茶人や文化人に愛され続けています。
信楽焼のたぬきの歴史

お茶の道具などで隆盛した信楽焼ですが、なぜたぬきの置物でも有名になったのでしょうか?
信楽焼たぬきの歴史は意外と浅い
信楽焼のたぬきが誕生したのは明治時代。
陶芸家の藤原銕造(ふじわらてつぞう)が作ったのが最初と言われています。
鎌倉時代から脈々と受け継がれている信楽焼の歴史の中では、意外と最近なんですね。
きっかけは昭和天皇
信楽焼のたぬきが注目を集めたのは昭和26年。
昭和天皇が信楽町に行幸された際に、たくさんの信楽焼のたぬきに日の丸の旗を持たせて沿道に並べたところ、昭和天皇がとても感動して歌を詠まれたという逸話がきっかけです。
その時に昭和天皇が読まれた「幼なとき 集めしからに 懐かしも しがらき焼の 狸をみれば」という歌は、信楽町の新宮神社の鳥居の横の歌碑に刻まれています。
たぬきの置物には意味がある!

今では店先に置かれることが多い信楽焼のたぬき。
何故お店の前に置かれるようになったのか、その由来を見ていきましょう。
他を抜く「たぬき」
たぬきには、「た=他」を「ぬき=抜き=抜く」ということから、「他を抜く」縁起物としての意味があるとされています。
昔から商売繁盛や金運アップ、開運などの意味があるとされているため、店先にたぬきの置物が置かれるようになったのです。
それぞれの部位に意味が「八相縁起」
また、信楽焼のたぬきの身体にはそれぞれの部位に特徴があり、縁起の良い意味があるとされています。
これを「八相縁起」と言います。
笠・目・口・徳利・帳簿・金袋・しっぽ・お腹の8つの部位には、それぞれ以下のような意味があるようです。
笠
災難を避け、身を守ってくれる
目
周囲に目を配り、正しい物事を見極める
口
常に笑顔でいることで商売繁盛へ導く
徳利
飲食に困らない
帳簿
世渡り上手、信用が得られる
金袋
金運に恵まれる
しっぽ
末広がりの太いしっぽは大きく太くしっかりとした人生の象徴
お腹
どっしりとして常に冷静沈着でいられる
忍者たぬきも人気

縁起物の信楽焼のたぬきですが、最近では甲賀らしい姿にコスプレした姿も見られるとか!?
甲賀と言えば忍者!「忍者たぬき」
甲賀と言えば、甲賀忍者が有名。
それにちなんで、現在では忍者の格好をした「忍者たぬき」の置物も作られているそうです。
忍者だけでなく、野球チームのユニフォームを着たたぬきや郵便ポストになったたぬきなど・・・いろいろなバリエーションのたぬきが作られているんですよ!
【まとめ】信楽焼たぬきに込められた意味とは?
多くの人から長年愛されている、縁起物の信楽焼のたぬき。
日本国内で広く知られるようになったのは、昭和天皇が信楽町に行幸された際に信楽焼の狸が街道沿いにたくさん並べられていたのがきっかけなのだとか。
そして、たぬきが「他を抜く」という意味合いで縁起物とされるようになったことで、飲食店などの店先や店内におかれるようになったのだとか。