正月の「破魔矢(はまや)」の飾り方は?どんな意味があるのか起源についてもご紹介

初詣に行くと見かける破魔矢(はまや)。

魔を破る矢という名前からして縁起物というのは分かりますが、肝心の飾り方がわからないので買うのを躊躇ったりしまいませんか?

今回はそんな破魔矢の飾り方から、破魔矢に込められた意味、そしてその起源についても解説します。

破魔矢の意味と飾り方

破魔矢はお正月に神社仏閣で授与される縁起物の1つです。場所によっては弓と一組になっていることもありますが、多くの場合は矢単体で見かけます。
 

破魔矢の意味や効果

破魔矢は魔を破るという名前通り、厄除けと魔除けのお守りとされています。また、矢の形状から幸運を射止める縁起物ともいわれています。

多くの場合、お正月に授与される破魔矢ですが、男子の初節句に健やかな成長を願い、破魔弓と一緒に破魔矢を贈るという風習もあります。

破魔矢の飾り方

破魔矢を飾る場所

破魔矢を飾る場所はいくつかあります。1つは神棚、もしくは床の間です。しかし、現在の住宅事情では両方が無い家庭も多くあります。その際は、明るく清らか、かつ頭より高い場所に飾るのがよいとされています。

破魔矢には上下がある

飾る場所はもちろんですが、破魔矢にはもう一点気を付けないといけないことがあります。

それは羽がある方が上になるということです。先端を上に向けて置くということは天に弓引くことに繋がりますので決してやってはいけません。必ず羽飾りが付いている方を上に向けるか、地面と水平にして飾ってください。

破魔矢を向ける方角

破魔矢をどの方角に向けて飾るべきか、これに関しては諸説あります。

干支があらわす方角の対をなす方角がいい(子の年の場合は子が北をあらわすので真逆の南など)、神社や寺で授与されている御札同様に南もしくは東がいい、凶の方角といわれる鬼門となる北東に向けるべきなど様々な説があります。

正月占いが由来?

破魔矢の由来に関しては諸説ありますが、その1つは昔から行われていた占いにあるとされています。

お正月の行事の占いで競技がはじまり

かつての日本では、お正月になると地区ごとに代表となる子供が的に向かって矢を射つ催しが行われていました。この競技では優勝した地区が豊作の年になる、と考えられたことから占いの要素も含まれていました。

破魔ではなく浜だった?

この競技において、使われた的を「浜」と呼ばれていました。この浜に向かって射つ事から浜矢や浜弓と呼ばれ、次第に縁起物として持ち帰られるようになったといいます。

そして時代が経つと、行事自体が簡略化されるようになり、現在のように縁起物の矢を持ち帰る風習へと変化していきました。

仏教での破魔矢の起源

仏教では破魔矢の由来は仏の持つ矢が起源ともいわれています。

日光の輪王寺

青面金剛明王(しょうめんこんごうみょうおう)とも呼ばれる青面金剛に付き従う四夜叉、そのうち烏摩勒伽(うまろきゃ) という夜叉神(鬼のような様相をした仏)が持っている矢が破魔矢の起源だと仏教ではしています。


出典:wikipedia.org

日光にある大輪寺では、この烏摩勒伽が持っていた破魔矢を型取り、昇り龍が彫刻された金色の破魔矢、龍神破魔矢が授与されています。

破魔矢の由来はあの歴史上の人物?

東京都大田区にある新田神社では、こちらで授与されている破魔矢こそ元祖だとしています。

この破魔矢の起源は江戸時代中期、エレキテルの復元製作や「土用の丑の日」のキャッチコピーを考えたとされることで知られる平賀源内の考案とされています。

新田神社にはかつて「旗竹」と呼ばれる源氏の白旗を立てた竹がありました。しかし、ある時雷が落ちたことでこの竹は割れてしまいました。

この時に平賀源内が厄除招福・邪気退散の効果がある「矢守」を割れた竹で作るよう提案しました。それ以降、この新田神社では源氏の白旗を付けた破魔矢を「初代破魔矢 矢守」として授与しています。

まとめ

縁起物として知られている破魔矢を飾る際は必ず羽がある方を上に向けるか、水平にして飾ってください。そうすれば一年間を憂いなく過ごせるとされています。他の正月飾りと違い、1年間飾っていて大丈夫ですので、授与された破魔矢は翌年になったら神社にお戻しくださいね。

また、初節句の男の子にあげる風習があるということから分かるように、破魔矢はお正月だけの縁起物ではありません。

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出典:Wikipedia(破魔矢)

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