首都圏と関東は違う?その違いを解説します!

「首都圏」と「関東地方」という言葉は、非常に似た範囲を指し示すので違いが分かりにくいのですが、この2つには明確に違いがあります。

今回は首都圏と関東地方の違いや、それぞれが指し示す地域の区分について解説します。

首都圏とは

首都圏とは「首都およびその周辺地域」を指し示す言葉であり、日本以外の国でも使われる言葉です。

例えばアメリカならば、首都にあるワシントンD.C.の周辺地域「バージニア州北部」「メリーランド州中部」「ウェストバージニア州極東部」が首都圏にあたります。

首都圏の定義

日本の首都圏は、東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県・茨城県・栃木県・群馬県・山梨県と定められています。

なぜこの地域を指すのか、それは1956(昭和31)年に制定された「首都圏整備法」内の下位法令「首都圏整備法施行令」で定められているからです。

首都圏が発足された理由

では「首都圏整備法」という法律で首都圏を定義立てする必要があったのか、それは1950年代からの経済復興に理由があります。

戦後、東京を中心としたエリアでの人口増加や産業の集中化は著しいものがありました。

その一方で、東京の復興建設が「首都建設法」に基づき進められていましたが、事業は計画通りには全く進んでいない、それが当時の東京です。

しかし、都市整備の遅延などお構いなしに、人々は東京に集まってきますので、住宅不足や逆に無計画な住宅地の拡大、そして居住環境の悪化や交通渋滞などの問題を引き起こしていました。

この問題に対処するため1956年に制定されたのが「首都圏整備法」です。

首都東京だけではなく、東京を中心とした広域エリアで総合的な整備をすすめることを基本方針としていました。

第一次計画では東京都から約100km圏内を「既成市街地帯」「近郊地帯」「周辺地域」の3地域に分けることで、既成市街地の過密化と拡大を防ぐとともに緑地帯や衛星都市を設けて産業や人口を適切に配置する事を計画しました。

しかしその後も首都圏では人口の増加、市街化が進んだため、1966年に首都圏を100km圏内から「150km圏内」、現在の1都7県の全域に拡大されました。

以上の経緯から、首都圏は東京を中心とした都市整備の範囲を定められた地域を指すというのが分かります。

関東とは

首都圏が法律で規定された範囲なのに対し、関東地方という呼び名に関してはその明確な定義はありません。

関東地方

日本の国土を北海道・東北・関東・中部・近畿・中国・四国・九州沖縄に区分する、全国八地方区分の1つが関東地方です。

法律上の定義こそ無いものの、一般的には関東といえば茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県の1都6県のことを指します。

南関東

利根川以南の埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県の1都3県で南関東を指します。なお、埼玉県を除外して1都2県を指す場合もあります。

北関東

茨城県・栃木県・群馬県の3県を北関東と呼ぶ場合もあります。南関東が1都2県を指す場合は埼玉県が北関東に組み込まれ4県を指すこともあります。

関東の名前の由来

現在の関東の概念が生まれたのは江戸時代です。江戸幕府によって設けられた3つの関所、神奈川県の箱根関・東京都八王子の小仏関・群馬県の碓氷関、この3つより東を関東と呼ばれました。

この定義に従うと東北地方も関東に当たるのですが、「関八州」という呼び名のように「相模(さがみ)(現在の神奈川県)」「武蔵(むさし)(現在の東京都と埼玉県)」「安房(あわ)(現在の千葉県)」「上総(かずさ)(現在の千葉県)」「下総(しもうさ)(現在の千葉県)」「常陸(ひたち)(現在の茨城県)」「上野(こうずけ)(現在の群馬県)」「下野(しもつけ)(現在の栃木県)」が関東と認識されていました。

初期の関東

実は関東という言葉自体は江戸時代以前からあり、最初に使われたのは飛鳥時代のことです。

この時代に東山道に「不破関(ふわのせき)」、東海道に「鈴鹿関(すずかのせき)」、北陸道に「愛発関(あらちのせき)」という3つの大きな関が設置されました。この関が設置されて以降、この3つの関より東を関東と呼ぶようになりました。

不破関が現在の岐阜県、鈴鹿関は鈴鹿関、愛発関は現在の福井県にあたりますので、現在の中部地方より東が関東と呼びあらわされていたようです。

鎌倉時代の関東

3つの関より東をあらわしていた関東という言葉ですが、鎌倉時代に入り意味合いが変わってきます。

源頼朝は朝廷から独立した政権、鎌倉幕府を樹立しました。頼朝は鎌倉幕府を独立した組織だというのを主張するために「関東方」を自称しました。

頼朝が自称した「関東方」という言葉が定着したことで関東は鎌倉幕府の支持基盤、遠江国(現在の静岡県)・信濃国(現在の長野県)・越後国(現在の新潟県)以東を指す言葉と認識されるようになりました。

室町時代の関東

室町幕府によって鎌倉府という機関が設置されました。鎌倉府とは、相模国・武蔵国・安房国・上総国・下総国・常陸国・上野国・下野国・伊豆国(現在の静岡県)・甲斐国(現在の山梨県)の10ヶ国を管轄する組織です。

鎌倉府が設置されて以降、江戸幕府ができるまではこの10ヶ国が関東と認識されていたそうです。

まとめ

首都圏は戦後、都市計画を立てる際に付けられ、それが一般葬にまで定着した言葉です。それに対し、関東は飛鳥時代以降、時代とともに人々に指す地域が変わりながらも認識されていた言葉です。

ちなみに関東ではありませんが、首都圏ではある山梨県は全国八地方区分では中部地方に入るはずなのですが、場合によっては中部地方からも外されることもあります。

隣接した長野県と新潟県も同じ事がよく起きるためか、この3県だけで八地方区分から独立した甲信越という別の名前で呼ばれることもあります。なんといいますか、山梨県は地方区分の点では非常に不遇な扱いを受けている県のようです。

関連キーワード

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事