旧暦の10月を意味する「神無月(かんなづき)」。神がいない月という由来は実は間違い?!

秋も深まってくる10月は「神無月(かんなづき)」とも呼ばれています。
この名前はよく、全国にいる神が出雲大社で行われる神の会議に参加してしまうので「神がいなくなる月」の意味があるといわれますが、実は言語学的には根拠が無いそうです。

では、どのような由来があるのでしょうか!?
そしてなぜ10月の別名とされているのかについて見ていきましょう。

神無月が10月の別名とされている理由

 

神無月は旧暦での名称

神無月が10月の別名とされているのは、旧暦の10月を意味していたのが「神無月」だったからです。
明治時代に入り、現在の暦「新暦」が導入されてからも、これまでの慣習から10月の別名として用いられています。

旧暦の神無月と現在の10月は違う時期?

新暦と旧歴では、実は同じ10月でも指す時期が違います。
これは新暦と旧歴での月日の数え方の違いに起因しています。

新暦が太陽の動きから1年の暦を算出する「太陽暦」なのに対し、旧歴では月の満ち欠けと季節のズレを無くすために太陽の動きを参考にして暦を導き出す「太陰太陽暦」を採用していました。
この2つは1年の長さを約365日としていましたので、日数に関して差はありませんでしたが、年明けの時期が違うという特徴があります。

新暦の年明け、1月1日は前年の12月31日の翌日、というだけでそこに天体的な理由は特にありません。
それに対し旧歴では、年明けを立春の頃の新月の日としていました。

立春は新暦では2月4日に当たります。
その前後の新月となる日なので、旧暦の年明けは「1月20日から2月20日頃」となります。
新暦と比べると20日から50日ほどずれ込みます。

年明けの時期が新暦と旧暦で違うのですから、他の月も時期はズレは生じ、旧暦の10月は新暦の10月下旬から12月上旬頃が当てはまります。

神無月の意味や由来

 

神無月は神の月?

「神のいない月」を由来するといわれることの多い神無月ですが、実は「神の月」を由来とするとも言われています。

なぜ神の月を意味するのか、それは「無」が「~の」という助詞の役割で使われていると考えられているからです。
そのため、「神を祀る月」という意味で神無月とつけられたといわれています。

旧暦で6月を指す水無月(みなづき)も同様で、無は助詞の役割を果たしているので「水がない月」ではなく「水の月」を意味しているとされています。

俗説?神がいない説

 

「神がいない月」という説は言語学に基づいたものではありません。
中世、平安時代以降に出雲大社へ参拝に来た人たちの世話や案内をした人たちが広めた俗説とされています。

神在月とは

全国の出雲大社に集まり会議をするという俗説が広まると、逆に出雲地方では神がいる月として「神在月(かみありづき)」という呼び名ができました。
この別名は現在でも出雲大社のある島根県に残っています。

ただ一方で、本当に全国の神々が集まるのではなく、田の神や家の守り神といった留守神は離れることはないとされていました。

また、会議に集まるのは出雲大社で祀られている神「大国主命」の子孫に当たる神々だけで、「天照大神」など天界に住む神は参加しないともいわれています。

神々の会議の内容とは?

出雲大社に集まって行われる神々の会議。
その内容はなんと・・・縁結びとされています。

この場合の縁結びとは、なにも恋愛や結婚のことだけではありません。
仕事や天候、農作物の収穫まで、あらゆるめぐり合わせについて論じられているとされます。

天候や農作物の出来という生活に関わる問題も話し合われていますので、出雲大社では旧暦の神無月にあわせて「神在祭(かみありさい)」や「縁結大祭(えんむすびたいさい)」といった神事が催されます。

他の由来

 

他にも神無月の名前は、雷が鳴らない事から「雷無月(かみなしづき)」、新酒を作る時期に当たるので「醸成月(かみなしづき)」から来たともいわれています。

他にもある10月の別名

 

10月には、他にも別名があるのでご紹介します。

上冬(じょうとう)

旧暦では10~12月を冬としていました。
その事から冬の始まりの意味で付けられたのが、上冬という別名です。

初霜月(はつしもづき)

神無月の頃になると初霜が降りてきます。
そのため初霜月という別名があります。

時雨月(しぐれづき)

秋から冬にかけての、降ったり止んだりを繰り返す雨を「時雨(しぐれ)」といいます。
この時雨の季節のことから10月は時雨月とも呼ばれています。

小春

冬の始まりの頃に訪れる、まるで春のような穏やかで暖かい日差しがある日を「小春」といいます。
この天気を由来とした別名も付けられています。

まとめ

実は神無月は神のいない月、ではなく「神の月」を由来と考えられていました。

古くから出雲大社の関係者たちが参拝者に「出雲大社に神々が集まるから神のいない月」だと伝えていたため、俗説ながら広く知れ渡ったようです。
しかし、中世からの宣伝活動の賜物だったとは驚きですね!

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