ミヤコワスレの花言葉はなに?花言葉と名前の由来には悲壮な逸話があった

ミヤコワスレ、どこか古風な響きを持つこの花の名前には、遥か古の悲しい物語が隠されていたことをご存知ですか?
また、その悲壮な物語に由来した花言葉も付けられています。

美しい紫や白、青、ピンクなどの花があり、鉢植えとしても切り花としても人気の高いミヤコワスレの、切ない花言葉や名前の由来について解説します。

ミヤコワスレとは?

 

可憐で清楚な花を咲かせるミヤコワスレ。
野生の野菊によく似た素朴さや野趣も感じさせることから、茶室に飾る茶花としても人気があります。

特徴

ミヤコワスレは、ミヤマヨメナ(深山嫁菜)という、本州、四国、九州に自生する野生の野菊を園芸用に改良したことで誕生した品種です。

つややかな紫色が美しい定番品種の「江戸紫」や、濃い紫色で花も大きめの「みのり紫」など、ミヤコワスレというと薄い青色や紫色のイメージが強いかもしれませんが、可愛らしい鮮やかなピンク色の花を咲かせる「浜乙女」や「桃山」、白い花の「瀬戸の白雪」など、色のバリエーションもあります。
自生もする品種というだけあって、生命力がとても強く、強い日差しと乾燥にはやや弱いものの木陰などにも咲きます。

常緑の多年草なので一年中青い葉が茂り、毎年時期になると中央の黄色の周りに放射状の花弁が開く花を咲かせます。

開花時期

ミヤコワスレは4月〜6月にかけて、あたたかな春から初夏の時期に咲きます。

原産

ミヤマヨメナの園芸品種として生まれたミヤコワスレは、日本原産の花です。

ミヤコワスレの花言葉

 

ミヤコワスレには悲しい逸話あるというだけあって、寂しく辛いイメージの花言葉が多いようです。

全般的な意味の花言葉

ミヤコワスレの花言葉には、「しばしの憩い」「憂いを忘れる」「しばしの別れ」「短い恋」「また会う日まで」「優しい心」「なぐさめ」「忘れ得ぬ人」「別離の悲哀」などがあります。
全体的に別れやなぐさめを連想させる、悲しい言葉が多い印象を受けます。

色による花言葉

紫、青、ピンク、白などのカラーバリエーションがあるミヤコワスレですが、色別の独自の花言葉はありません。
それだけ全般的な花言葉の印象が強いのかもしれませんね。

ミヤコワスレの名前と花言葉になった逸話

 

ではミヤコワスレの名前や花言葉の由来になった、悲しい逸話とはどんなものだったのでしょう。

天皇の心を癒したミヤコワスレ

話は遠く鎌倉時代に遡ります。

承久3年(1221年)、鎌倉幕府執権の北条義時を倒そうと、後鳥羽上皇が討伐の兵を挙げました。
いわゆる「承久の乱(じょうきゅうのらん)」です。

しかし、朝廷は幕府に敗れてしまいます。
その結果、後鳥羽上皇の息子で当時の天皇であった順徳天皇は佐渡島に流刑となり、その後46歳で崩御するまで、21年間の佐渡島暮らしを余儀なくされました。

順徳天皇は京都での日々を懐かしみ嘆き悲しむ毎日を過ごしていましたが、父の後鳥羽上皇が御所の周りに植えていた白菊の花によく似た花を見つけ、その花を眺めては寂しい心を癒やしていたといわれます。
その心を癒してくれた花について。順徳天皇はこのような歌を咏んでいます。

いかにして 契りおきけむ 白菊を 都忘れと 名づくるも憂し

ミヤコワスレという名はこの歌から付いたと言い伝えられています。

ミヤコワスレは鎌倉時代に無かった?

このようななんとも切ない物語のあるミヤコワスレですが、ミヤマヨメナの品種改良によって現在のミヤコワスレが作られたのは江戸時代に入ってからのこと。
しかも、活発な品種改良によって様々な色や大きさの花が生まれていますが、代表的な花の色は紫です。

時代も特徴もあいませんので、順徳天皇が見ていたのは、ミヤコワスレとは違う花だったということになりますね。
歌にも白菊とあるように、もしかすると野生の野菊だったのかもしれません。

順徳天皇の寂しい心を慰めていたのは、他にもキク科ヒメジョオン属の東菊(アズマギク)だったのではないかという説もあります。
アズマギクはミヤコワスレとよく似た薄紫色の花です。
古くから高貴な色、都を象徴する色とされてきた紫の花を見て、心を休めていたというのもわかるような気がします。

しかもアズマギクは、淡い薄紫の花をしているので遠目なら白と言えなくもない色合いをしています。
そのため、白菊と詠んだ歌とも矛盾は確かに少ないです。

まとめ

順徳天皇の逸話から名付けられたというミヤコワスレは、物悲しさを誘うような花言葉を多く持っています。
しかし、春の明るい季節になると咲き、人々を慰めたり勇気づけたり心を癒やしたりしてきた花でもあるのではないでしょうか。

日本古来の花「菊」は、皇室の象徴でもあり、日本そのものの象徴でもあります。
その菊の一種であるミヤコワスレが鎌倉時代の天皇を慰めていたということに、筆者は日本人の心のようなものを感じました。

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