
贅沢なことを際限なく楽しんでいる人を見て、「あの人はぜいたく三昧してるなぁ」と表現することがありますよね。
この『三昧』とは、どんな意味なのでしょうか?
「3つの味?」と思いきや、実は「昧」なので「曖昧」と同じく、味とは異なる漢字となっています。
なんだか紛らわしいですよね。
ここではそんな『三昧』が持つ意味や由来について見ていきましょう。
『三昧』の意味と使い方

三昧には、主に2つの意味があります。
意味① 熱中すること
まず1つ目の意味としては、一心不乱に集中している様子です。
「読書三昧」という表現がありますが、この場合はのんびりと本を読むのではなく、夢中になって周りを気にせずに読むという様子になります。
我を忘れて何かに没頭している様子を指す、ということになります。
意味② 思う存分
2つ目は、「贅沢三昧」という言葉があるように、心のままに思う存分求めている様子を指して用いることもあります。
身の丈に合わない贅沢を堪能している様子を指して表現することもあります。。
お金があるセレブというよりも、お金がないにも関わらず後先のことを考えないで贅沢をしている様子を表現する際に用いられることもあるということです。
贅沢三昧は好き勝手に散財を繰り返してしまう様子を指す言葉なので、我を忘れて欲望の歯止めがかからない状態というニュアンスも含まれています。
共通点は「他を顧みない」様子
『三昧』という言葉に共通しているのは、他人の視線を気にせず、我関せずの状態になっているということですね。
心を1つにしてどんな雑念も意に介さないほど、物事に没入している様子を指す言葉となっています。
『三昧』の由来は仏教

周りが見えない様子で熱中したり、後先考えずに思う存分に堪能することを指す、『三昧(ざんまい)』という言葉は、仏教用語の「三昧(さんまい)」が由来となっています。
仏教の「三昧(さんまい)」とは
仏教における「三昧」は、サンスクリット語の「サマーディー」を音訳した言葉です。
「瞑想により、心を1つのことに集中することで動揺しない安定した精神状態になること」を意味します。
雑念を取り払って対象を正しく捉えようとすることでもあります。
サンスクリット語とは
サンスクリット語とはインドにおける古代言語のひとつで、サンスクリットは「高尚・完全・純粋で神聖な雅語」という意味があります。
古代インドでは共通語として用いられていたとても重要な言語の1つで、多くの経典にこのサンスクリット語が用いられています。
日本や中国では「梵語」とも表記されますね。

寺院で上記のように、漢字とはまた違う記号にも見える文字の羅列や意匠を見たこともある人がいると思います。
これが梵字、すなわちサンスクリット語です。
『三昧』を含む仏教用語
「読書三昧」のように「熱中した様子」や、「贅沢三昧」のように「満喫する様子」といったように、仏教用語と日常用語で異なるのはここまで説明してきたとおりです。
そしてこの項目では、そんな『三昧』を用いた仏教用語もいくつかご紹介します。
三昧境(さんまいきょう)
三昧境とは1つに集中して動じない心の境地のことです。
いわゆる無我の境地に達した状態のことともされ、本来使われている三昧の意味とも共通していますね。
三昧堂(さんまいどう)
三昧堂とは僧侶が籠って修行するためのお堂のことです。
念仏を唱えて修行することを「念仏三昧」と呼ぶように、仏教では修行に関する言葉として三昧が使われることもあります。
まとめ
『三昧』という言葉は現代だと、「何かに熱中している様子」や「思う存分求めている様子」を指す言葉として使われています。
この三昧は仏教用語から来ており、心を1つにして周囲に乱されないことを意味します。