「虻蜂取らず」とは、2つのものを手に入れようとして、結局どちらも得られないことを意味する言葉です。
虻も蜂も取りたいとは思ったことがない・・・という人が多いと思いますが、どのような経緯でこの言葉は生まれたのでしょうか。
そこでここでは、「虻蜂取らず」の意味や由来、類義語や対義語を解説します!
目次
「虻蜂取らず」とは
まずはじめに、「虻蜂取らず」の意味や成り立ちについて見ていきましょう。
「虻蜂取らず」の意味
「虻蜂取らず」とは、2つのものを手に入れようとして、結局どちらも得られないことの例えです。
欲張って2つのものを同時に手に入れようとしても、結局はどちらも得られず失敗するということをあらわしています。
「虻蜂取らず」の由来
「虻蜂取らず」の由来は、正確にははっきりしていません。
ハエの仲間の「虻」と「蜂」は外見が似ている虫ですが、蜂は蜜などの利用価値があるのに対し、虻は病気などを媒介する害虫とされてきました。
そこから、虻を退治するために捕まえたい、蜂は手に入れたいと欲張ることが由来となっているという説があります。
また、蜂の中でもスズメバチなどの有害な蜂もいることから、蜂も虻も両方とも退治すべく捕獲しようとした人が、両方とも取り逃がしてしまう、ということが由来となったとの説もあります。
蜘蛛の巣に引っかかった虻や蜂を、巣の主であった蜘蛛がどちらを先に食べようか迷っているうちに通りすがった鷹に虻と蜂の両方ともついばまれて持っていかれた、という物語から来ているともされています。
「虻蜂取らず」の他の表現
「虻蜂取らず」は、古くは「虻も取らず蜂も取らず」という表現だったとされます。
しかし、「取れず」ではなく、取らないという事を指す「取らず」では、意味合いとの齟齬を感じますよね。
また、「虻蜂取らず鷹の餌食」という表現もあります。
これは、前述の蜘蛛の逸話が由来となった表現とされます。
損をしたのをより強調するための表現となっています。
そのほかにも、「虻も取らず蜂に刺される」という表現もあります。
虻を捕まえることができなかった上に蜂には刺されたという、損に更に損を重ねたという表現となっています。
「虻蜂取らず」の類義語
「虻蜂取らず」の類義語には、「二兎追うものは一兎をも得ず」や「花も折らず実も取らず」があげられます。
二兎追うものは一兎をも得ず
「二兎を追うものは一兎も得ず」は、欲張るとかえって失敗しやすくなることの例えです。
欲張って2匹のウサギを追っても1匹も捕まえることはできず損をするという言葉になっています。
古代ローマ時代の西洋のことわざだとされていますが、その由来は正確には分かっていません。
花も折らず実も取らず
「花も折らず実も取らず」もまた、2つ以上のことをしようとすると何も得られないことを例えた言葉です。
欲張って花も実も手に入れようとしたとしても花をとることはできないし、果実を採取することもできないという言葉になっています。
「虻蜂取らず」の対義語
戒めの意味が強い「虻蜂取らず」。
という事は、欲張ってどちらも手に入れてしまうことを意味する言葉が対義語という事になりますね!
一石二鳥
「一石二鳥」は、「1つの石で2羽の鳥を捕まえる」といった意味です。
こちらは漢字の四字熟語なので日本が発祥のように思えますが、実はTo kill two birds with one stoneというイギリスのことわざが語源。
17世紀頃から使われている表現とされます。
濡れ手で粟
「濡れ手で粟」は、苦労せずに利益を得ることの例えです。
この言葉は、濡れた手で粟をつかむとたくさんつかめるということに由来しています。
穀物の一種である粟の粒はとても小さく、濡れた手でつかむと粟の粒が手にくっつきやすくなることから、労せず集めることができます。
まとめ
「虻蜂取らず」とは、2つのものを手に入れようとして結局どちらも得られないことを意味する言葉です。
欲張って2つのものを同時に手に入れようとしたために、どちらも得られずに失敗してしまうという戒めの込められた言葉です。
由来には諸説ありますが、虻も蜂も両方とも退治しようとした人が、結局両方とも取り逃がしてしまう、といったことが由来となっているともいわれていますが、明確な由来は分かっていません。
類義語には、「二兎追うものは一兎をも得ず」「花も折らず実も取らず」が、対義語には「一石二鳥」に「濡れ手で粟」などがあります。