「野次を飛ばす」の野次とは何をあらわす言葉?意味や由来をご紹介!

「野次を飛ばす」とは、人を冷やかして言動を邪魔する際に用いられる表現です。
はっきり言って、お行儀のいい行動ではありません。

この言葉に含まれる「野次」は、「野次馬」と語源を同じくするのだとか。
では、この「野次を飛ばす」にはどのような由来があるのか、また同様の意味の「ブーイング」との違いについて見ていきましょう。

「野次」とは

 

まずは「野次」という言葉や「野次を飛ばす」という表現について、その意味を見ていきましょう。

「野次」の意味

「野次」とは、人の言動を冷やかしたり囃し立てたりして妨げることです。
動詞系にして「やじる・野次る」と表現されることもあります。

相手の言動を小馬鹿にし、発言や行動を阻害する点が特徴となります。
基本的にポジティブな意味合いや状況で用いられることはありません。

「野次を飛ばす」とは

「野次を飛ばす」とは、非難の言葉を浴びせることを言います。
そこには、嘲笑であったりからかうというニュアンスが含まれています。

相手の言動を指摘するというより、冷やかしたり囃し立てるような感情を揺さぶるような発言をすることが「野次を飛ばす」の特徴です。

国会や議会で、発言に被せて一種の疑問形で発せられるもの。
スポーツなどにおいては、プレー中に選手の妨げになるようなことを大声で発することなどが実例としてあげられます。

「野次」の由来

 

「野次を飛ばす」などで使用される「野次」、この言葉の成り立ちについても見ていきましょう。

親父馬から来た野次

「野次」は、「親父馬」が変化した言葉という説があります。

その昔、日本では馬を農作業などに活用していました。
しかし、そんな馬も年を取れば作業を任せることができなくなってしまいます。
この歳を重ねた馬のことを「親父馬」と呼ばれていました。

その親父馬の姿から、「役立たずでただ見ているだけの存在」も親父馬と表現するようになりました。
転じて、何かの対象を邪魔するような存在についても親父馬と言うようになったのです。

この「親父馬」が次第に変化していくことで「野次馬」へ、そして「野次」へと変化していったと考えられます。

由来を同じくする「野次馬」とは意味は全く異なる

前述したように、「野次馬」も「野次」と同じく「親父馬」から来たとされる言葉です。
しかし、この2つの言葉は意味合いが大きく異なるので注意しましょう。

「野次馬」は、事件事故の現場などで、興味本位による高みの見物や騒ぎ立てるようにその場にいる取り巻き状態になっている人のことです。
相手を嘲って馬鹿にしたりといった行動を取ることは含まれません。

「罵声」や「ブーイング」との違い

 

では、野次は「罵声」や「ブーイング」とはどのような違いがあるのでしょうか。
ここでは似ているようで似ていない言葉との違いについて説明します。

「罵声」とは

「罵声」とは、大きな声でどなりたてたり、相手を大声で罵ることを言います。

「野次」は、人の言動を冷やかしたり囃し立てることで言動を妨害することです。
そのため、口汚い言葉を大声で発することを目的とする「罵声」とは性質が異なるのです。

「ブーイング」とは

「ブーイング」とは、不満の感情をあらわして「ブー」と叫ぶ欧米圏発症の文化です。

スポーツ選手やイベント出演者などに対して向けられます。
主に反則した選手や違反した出演者などの行為を咎める手段として行われることがほとんどです。

不平の感情をぶつける際の手段として使用します。
しかし、明確な言葉にはしていないという点で「野次」ともまた違った表現となるわけです。

まとめ

「野次を飛ばす」は、対象となる人を「野次る」ことを言います。
この野次とは、人を嘲笑する他、冷やかしたり囃し立てることで言動を妨害することを言います。
「罵声」や「ブーイング」とはまた用い方が異なります。

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