「和を以て貴しとなす」とはどんな意味?なんて読むの?孔子や聖徳太子と関係は?

和を大切にしようとする教えが「和を以て貴(とうと)しとなす」です。
これは聖徳太子などが定めた十七条憲法に登場する文言です。
しかし、その原典には諸説あるとされています。

今回はそれら「和を以て貴しとなす」について解説します。

「和を以て貴しとなす」とは

まずは「和を以て貴しとなす」について見ていきましょう。

「和を以て貴しとなす」の意味

「和を以て貴しとなす」とは、聖徳太子などが和を何よりも大切にすべきだと説いた文言となります。
簡単に言えば、争うことのないようにしなさいという教えです。

また、「和を以て貴しとなす」にはわだかまりなく話し合うことが尊いというニュアンスも含まれます。
要は人々がお互いに仲良く、調和していくことが最も大事だということを言った言葉なのです。

「和を以て貴しとなす」は何と読む?

「和を以て貴しとなす」は「わをもってとうとしとなす」もしくは「わをもってたっとしとなす」と読みます。

そのため、しばしば「和を以て尊しとなす」と漢字表記されることもあります。
これらはどちらを使用しても問題はありません。

しかし、正しくは「和を以て貴しとなす」とされます。
読みが同じで勘違いしやすいので、ぜひ正しく覚えておきましょう。

「和を以て貴しとなす」は誰の言葉?

前述の通り「和を以て貴しとなす」は聖徳太子の言葉です。
では、どのようにしてこの言葉が生まれたのでしょうか。

十七条憲法の第一条の内容

「和を以て貴しとなす」は聖徳太子が十七条憲法の冒頭に掲げた言葉です。

その第一条の内容が「和を以て貴しとなす」に関連しています。
事実、第一条には「以和為貴」や「無忤為宗」という文言が記載されています。

つまり、聖徳太子は憲法によって和を大切にして争わないようにすべきと説いたわけです。
これらの教えによって、議論することの大切さを人々に浸透させたとも言えるかもしれません。

特に「和を以て貴しとなす」は輪を尊重する国のあり方を示す言葉でもあるのです。

十七条憲法とは

十七条憲法とは、推古天皇12年に聖徳太子によって作られた日本初の憲法となります。
文字通り17の条文からなる法文で、日本の憲法に大きな影響を与えたとされています。

ただし、これらは現代の憲法とは少し違い、官僚や貴族に対する道徳的な規範が示されているのが特徴です。
そのため、行政法としての性格が強いです。
それでいて思想的には儒教や仏教、法家の要素も含まれるなど特殊な憲法となっています。

「和を以て貴しとなす」の原典は?

では「和を以て貴しとなす」は何が原典なのでしょうか。
説としては礼記と論語のどちらかが原典であるというのが有力とされています。

礼記を原典とする説

「和を以て貴しとなす」は礼記を原典とする説があります。
事実、礼記には「礼は之和を以て貴しと為す」とあります。
そこから「和を以て貴しとなす」という言葉が広まったと考える説が有力です。

論語を原典とする説

「和を以て貴しとなす」は論語を原典とする説もあります。
孔子の「論語」には「礼之用以和為貴」という1文が記されています。

礼を実践することは人々の調和を実現することに繋がります。
しかし、調和は大切であるものの礼をもってそれに節度を与えないとうまくいきません。

つまり、礼がなければ和も成立しないわけです。
そこから「和を以て貴しとなす」という言葉が、教えとして広まったとされています。

まとめ

「和を以て貴しとなす」は和を大切にするための教えです。
これらは聖徳太子によって作られた十七条憲法にある言葉です。
その原典は礼記や論語にあるとされ、現代の憲法とはまた違った性質を持っているのが特徴となります。

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