聖徳太子といえば、遣隋使を派遣したり、冠位十二階や十七条憲法を定めたりと、日本の歴史を勉強した人ならだれでも知っている人物です。そんな聖徳太子ですが、別名があることをご存知ですか?というか、聖徳太子という名前そのものが別名だったのです。
今回はそんな聖徳太子について紐解いていきたいと思います。
目次
聖徳太子とは?
聖徳太子は574年2月7日に用明天皇の第二皇子として誕生します。
大人になってからは推古天皇のもと、蘇我馬子と協調して政治を行い、先程述べたように遣隋使の派遣や、冠位十二階、十七条憲法などを定め、仏教や儒教も積極的に取り入れ、神道とともに信仰し興隆につとめたとされています。
その偉大な伝説や功績は後世に語り継がれ、近代では日本のお札に最も多く登場した人物としても知られていますね。
聖徳太子の逸話
10人の話を聞き分けた
聖徳太子の有名な逸話として、「10人の人の話を同時に聞くことができた」というものがあります。
ある日聖徳太子は、人々の請願を聞く機会があったのですが、我先にと口を開いた人々は合計10人。しかし聖徳太子はその全ての請願を聞き分け、的確な答えを返したんですって。
もちろん真偽の程は定かではありませんが、そんな伝説が残るほど、人々から尊敬を集めていたのかもしれませんね。
武将伝説
14歳のころ、蘇我氏と物部氏の間の争いに蘇我氏陣営として参加。
頭に仏像を乗っけて自軍を鼓舞しながら戦い、勝利へと導いたとされています。
14歳の時に大戦を勝利へ導く武将としても活躍していたとは・・・。
預言者伝説
聖徳太子は預言者としても言い伝えられており、その予言で「平安京の誕生」「黒船の来航」「明治維新」など、歴史的に重要な事柄を予言していたとされています。
超天才児
聖徳太子は生まれてすぐに言葉を話し、子供の時には様々な知識を蓄え、その知見はすでに高僧の域に達していたんだとか。
聖徳太子の別名
聖徳太子の本名は、厩戸皇子(うまやどのみこ)または厩戸王(うまやとおう)です。
聖徳太子という名前で習った方も多いかと思いますが、最近の教科書では厩戸王(聖徳太子)と書かれるのだとか。
聖徳太子とはそもそも死後につけられた別名なのですね。もしかしたら近い将来聖徳太子と行っても通じない日が来るのかもしれません…
その他にもあるいろんな別名
聖徳太子にはその他にもいくつか別名が存在します。
上宮之厩戸豊聡耳命
10人の話を同時に聞いたという伝説からきている名前だと言われています。
豊聡耳法大王
大王とは天皇の意味ですが、聖徳太子は即位していません。不思議ですね。
厩戸豊聡耳聖徳法王
こちらも聖徳太子の本名の一つと言われています。
東宮聖徳
東宮とは皇太子を意味します。
などなど、「古事記」や「日本書紀」など登場する文献により様々な別名が存在しており、聖徳太子がいかに特別な存在だったか別名の多さからも伺えますね!
それにしても”耳”という漢字が入っている名前が多いですね。
聖徳太子と耳
聖徳太子と耳は切っても切り離せない関係にありそうです。イメージでも聖徳太子=耳のいい人というイメージがあるのではないでしょうか?
別名にも耳の字が多い
先にも紹介した通り、聖徳太子には様々な別名が存在します。別名の中にも耳の字が多く使われているのがわかりますね。
聖徳太子は実在しなかった?
歴史学者「大山誠一」氏の唱える説
歴史学者の大山誠一氏が唱える説が近年大きな話題になりました。
それは、”聖徳太子は実は存在しなかった”というショッキングなものです。
完全に実在しなかったというわけではなく、大山氏は「廐戸王」(うまやとおう)自体は実在したと仰っており、偉人伝説のような聖徳太子は存在しておらず、ファンタジーの世界の登場人物だという事のようです。
スペックが人間離れしすぎ
聖徳太子の逸話でも紹介したように、10人の話をいっぺんに聞き分けるなど確かにスペックが人間離れしすぎな感は否めませんし、専門的に一つ一つ検証していく中で、存在を証明することが出来なかったということのようです。
でも1000年以上昔の話ですからね。間違っていてもおかしくありませんし、日本の歴史はこれまでも様々な訂正がされてきました。
今後もしかしたら聖徳太子の文字が教科書から消え、新たな事実が判明する日が来るかもしれません。
聖徳太子とキリストの共通点
聖徳太子は馬小屋で生まれたとされています。
…あれ?この話、どこかで聞いたことがありませんか?
そう、マリアが馬小屋でイエス・キリストを産んだというキリスト誕生秘話と瓜二つなんです。実は日本には、原始キリスト教の流れをくむ”景教”が早くから入ってきていたので、それを参考にして聖徳太子の伝説が誕生したのではないかとも言われてます。
真偽の程は定かではありませんが…大変興味深い話ですね。
まとめ
いかがでしたか?
聖徳太子の本名と沢山の別名、伝説や、もしかして存在していなかったんじゃないかという説など、様々な視点から聖徳太子という人物像を見てきました。
これから歴史がどのように変わっていくのかわかりませんが、今後とも注目してみていきたいですね。