「後は野となれ山となれ」とはどんな意味でどんな時に使う言葉?その由来や、類義語に対義語は?

無責任な態度のことを「後は野となれ山となれ」と表現することがあります。
この言葉は、「後はどうなろうと自分の知ったことではない」という感情を込められて用いられるのが特徴と言えます。

ここでは、この「後は野となれ山となれ」という言葉について、その意味や用い方、由来や類義語について見ていきましょう。

「後は野となれ山となれ」とは

 

まずは「後は野となれ山となれ」という言葉について、その意味や用い方を見ていきましょう。

「後は野となれ山となれ」の意味

「後は野となれ山となれ」とは、無責任な態度の例えのことです。
後はどうなろうと自分の知ったことではない、という自暴自棄や投げやりな感情を表すことわざとなります。

「やれることはやったので、後のことはもう知らない!」という若干開き直った際の表現として使用されます。

「後は野となれ山となれ」の用い方・例文

「後は野となれ山となれ」は、追い込まれた状況で使われることが多い言葉です。
その際は、一種の諦めのような感覚で使用されます。

その一方で、当面のことさえ済めばその後のことはどうなっても構わないという、一種の開き直りとして用いられることもあります。

「後は野となれ山となれ」の由来

 

では「後は野となれ山となれ」という言葉は、どのようにして生まれたとされるのか。
その由来について見ていきましょう。

浄瑠璃の物語から生まれた

「後は野となれ山となれ」という言葉は、江戸時代に流行った浄瑠璃から来ているとされています。
その出典となったのは、浄瑠璃の作家を代表する近松門左衛門の作品「冥途の飛脚」です。

原典も後先考えぬ男性の物語

「後は野となれ山となれ」の原形は、後先考えない人の物語から来ています。

その物語というのが浄瑠璃「冥途の飛脚」なのです。
その一節に以下のようなものがあります。
「栄耀栄華も人の金、はては砂場を打ち過ぎて、あとは野となれ大和路や」というものです。

これは物語の主人公である飛脚問屋の「忠兵衛」が、預かっていた大金で恋仲の遊女「梅川」を身請けし、町から去る際に放った台詞です。

飛脚問屋の人間が、客から預かっていたお金に手を付けるのは横領の重罪、捕まれば死罪が待っています。
その事実を身請けした梅川に告げると、2人は逃げられるだけ逃げようと、忠兵衛の故郷を目指すという事になった際の言葉なのです。

そして、この忠兵衛の台詞の一節「あとは野となれ大和路や」が「後は野となれ山となれ」に変容して現在に至ったと考えられています。

「後は野となれ山となれ」の類義語と対義語

 

最後に「後は野となれ山となれ」の類義語と対義語について見ていきましょう。

類義語は「旅の恥は掻き捨て」

「旅の恥は搔き捨て」とは、旅先では知り合いもいないために恥をかいたところでその場限りで済むことの例えです。
普段自制する恥さらしな行為も気が咎めないということを例えた言葉としても使用されます。

地元で顰蹙を買う行為も旅先なら許されるという意味で使用されることが多いです。

一見すると「後は野となれ山となれ」とは共通点が少ないように思えますが、後のことなど知らないという開き直っている態度で行うところが共通していると言えるでしょう。

対義語は「立つ鳥跡を濁さず」

「立つ鳥跡を濁さず」とは、引き際が潔くて爽やかであることの例えです。
去る際に、跡が見苦しくならないよう、片付けをしてから出立しなくてはならないということの例えとして使用されます。

目先のことだけでなく最後まで面倒を見る・処理してくという点が「後は野となれ山となれ」と相反する意味となっています。

まとめ

「後は野となれ山となれ」は、破れかぶれな感情をあらわす言葉です。
諦めや投げやりになっているところから、もうどうなってもいいとばかりに開き直っている状況にも用いられます。

この「後は野となれ山となれ」の類義語は「旅の恥は搔き捨て」、対義語は「立つ鳥跡を濁さず」となります。

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