「縁の下の力持ち」、元は同じ意味の「縁の下の舞」だった?語源とされる行事とは?!

「縁の下の力持ち」は、陰ながら努力する人のことを指しており、他人のために苦労している人のことも意味します。
そんな「縁の下の力持ち」は、もともと「縁の下の舞」という言葉だったとされています。

なぜ「縁の下の舞」が「縁の下の力持ち」となったのでしょうか?
そこでここでは、「縁の下の力持ち」の意味はもちろん、由来や語源について見ていきましょう。

「縁の下の力持ち」とは

 

まずは、日常会話でも頻繁に使われている「縁の下の力持ち」という言葉の意味や類義語について見ていきましょう。

「縁の下の力持ち」の意味

「縁の下の力持ち」とは、他人のために陰で苦労や努力をすること、陰ながら支えとなる人のことの例えです。
場合によっては、人知れず頑張って他人をサポートする人を称賛する言葉として「縁の下の力持ち」が用いられることもあります。

ただ単に努力をする人のことは努力家などと表現しますが、「縁の下の力持ち」の場合、誰かの為に見えないところで苦労している人のことを指す際に用いられます。
演劇の舞台班や部活のマネージャーなど表舞台に立ったり目立った活躍はしなかったりするものの、表舞台に立っている人を支えてくれている絶対必要な人のことを表現する際に使われますよね。

「縁の下の力持ち」の類義語

「縁の下の力持ち」は、他にも言い換えることができる言葉があります。

闇の独り舞い

「闇の独り舞い」は、目立たないところで力を尽くすことの例えとされています。
その由来は、人は見てくれない闇の中でも1人舞い続けることに由来していて、まさに「縁の下の力持ち」と同じような状況を指しています。

ただし、人を称賛するときに用いられる「縁の下の力持ち」と違い、「闇の独り舞い」は無駄骨折りをする人を指すこともあります。

内助之功

「内助之功」は、家庭内で夫の働きを支える妻の功績のことを指すため、「縁の下の力持ち」よりも条件が限定される言葉です。

ちなみに、「内助」とは内から助けることで「功」は功績のことです。
つまり「内助之功」は内から助けた人の功績となります。
そこから、古くは夫婦間の絆を表す言葉として用いられていました。

この言葉、本来は男女関係なく陰で支える人に使えます。
慎ましやかに努力を怠らない価値のある人のことを意味するため、特に限定した場面で用いる必要はありませんが、いつの間にか意味が転じてしまったようです。

元々は「縁の下の舞」だった?

 

「縁の下の力持ち」は、もともと「縁の下の舞」という言葉だったとされています。
ここからは、「縁の下の力持ち」そして「縁の下の舞」がどのようにして生まれたのかを見ていきましょう。

「縁の下の舞」の語源

「縁の下の力持ち」の元とされる「縁の下の舞」は、大阪の四天王寺の経供養で披露された「縁の下の舞」に起源があるとされています。

経供養とは、日本にお経が伝来したことを記念して始まった舞楽法要のことです。
この経供養において行われていたのが「縁の下の舞」だったのです。

「縁の下の舞」は、昭和の初期まで公衆に披露されることはありませんでした。
演者は日の目は当たらないこの法要のために練習を続け、無観客の中で舞を奉納していました。

誰も見ていないところで頑張る人の姿をこの演者に例えて「縁の下の舞」という言葉が生まれたとされています。

この「縁の下の舞」、四天王寺の法要が知られている大阪周辺では伝わりました。
しかし、地方に伝播していくうちに馴染みがない風習だったことから言葉に変化が生じ、「縁の下の力持ち」になったと考えられています。

「縁の下の舞」はカルタの1枚にも

「縁の下の舞」は、実はカルタの1枚にも採用されています。
そのカルタは四天王寺のおひざ元の大阪周辺の上方かるたです。

「ゑ」に「縁の下の舞」が割り振られています。

ちなみに、東日本などで使われる江戸いろはかるたは「縁は異なもの味なもの」という、全く異なることわざとなっています。

お寺から生まれた言葉

 

「縁の下の力持ち」以外にも、実はお寺から生まれた言葉は多いです。
ここではそんなお寺が発祥とされる言葉をいくつかご紹介します。

清水の舞台から飛び降りる

お寺から生まれた言葉の1つ、それが「清水の舞台から飛び降りる」です。

「清水の舞台から飛び降りる」は思い切って大きな決断をすることの例えとして用いられる言葉です。
これは文字通り清水寺から生まれた言葉です。
現代では実際に飛び降りる人はいませんが、かつては本当に清水寺から飛び降りる人がいたのだとか。

ゴタゴタ

「ゴタゴタ」も、実はお寺から生まれた言葉の1つとされています。
その由来は、中国からやってきた僧侶で、鎌倉の建長寺2世であった「兀庵普寧(ごったんふねい)」という人物にあるとされます。

一説によると、兀庵普寧は先鋭的な思想を持っていたため、当時の人々からすれば難解な解釈を行っていました。
また、中国からやってきた彼と日本の僧侶の間でもめ事も絶えなかったといいます。
そこからもめ事を「兀庵兀庵(ごったんごったん)」と表現するようになったのだとか。

この「兀庵兀庵」が転じて、「ごたごた」と表現するようになったといわれています。

まとめ

「縁の下の力持ち」は、人知れず努力や苦労をしている人を指す言葉です。
これは、「縁の下の舞」という大阪の四天王寺での法要が語源となっています。
かつてはこの法要、誰にも見られない非公開のものでした。
そこから、陰ながら努力するという人物を表現する意味で使われるようになりました。

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