大局的に見ればどちらもつまらない理由で争っているようにしか見えない様子を「蝸牛(かぎゅう)角上(かくじょう)の争い」と表現することがあります。
これらはくだらない争いの比喩となります。
では、くだらない争いを「蝸牛角上の争い」というようになっかたのか。
ここでは、「蝸牛角上の争い」という言葉の意味や由来、その類義語について見ていきましょう。
目次
「蝸牛角上の争い」とは
まずは「蝸牛角上の争い」という言葉の意味について見てみましょう。
「蝸牛角上の争い」の意味
「蝸牛角上の争い」とは、当事者にとっては大事でも、大局的に見れば非常につまらない理由で争っていることを例えとなる言葉です。
例えば、目玉焼きに醤油をかけるのかソースをかけるのか、当事者にとっては譲れない議題と言えるかもしれません。
しかし、他人から見ればどうでも良いことです。
現代では、このようなくだらない争いの比喩に使用します。
特に取るに足らない狭いところで、つまらぬことのために争うことを言う言葉と言えるでしょう。
例外として、小国同士の争いに対して用いられることもあります。
「蝸牛角上の争い」の由来
では「蝸牛角上の争い」はどこから来た言葉なのでしょうか。
その成り立ちについて見ていきましょう
「蝸牛」とはなんのこと?
「蝸牛角上の争い」の「蝸牛」とはカタツムリのことを意味します。
カタツムリを漢字表記にすると「蝸牛」となるわけです。
これはカタツムリの殻と牛の角を思わせる頭の形状から来た漢字表記となります。
「蝸牛角上の争い」の由来となった逸話
「蝸牛角上の争い」は、古代中国でまとめられた「荘子」-則陽から来ています。
紀元前4世紀頃、中国は戦国春秋時代を迎えていました。
魏という国の王は、隣国の斉を攻めるか、王を暗殺してしまうか悩んでいました。
そんな魏の王のもとに、在野の賢者「載晋人」が面会に訪れました。
この載晋人は、王に対して「カタツムリの左の角に国を持つ触氏と、右の角に国を構える蛮氏とが領地を争って戦いました。その戦いは15日にも及び、死者は数万人にも及んだそうですよ」と伝えました。
しかし、小さなカタツムリの更に小さな角の上でそんな大戦争が起きるわけがありません。
そのため、載晋人の話を魏の王が信じるはずもありません。
すると、載晋人は「広大な宇宙からすれば、我々の知る世界などあるかないかわからないくらいの存在です。王のやりようも、この話となんら変わらないではないですか」と続けたのでした。
この話が転じて、世の中には当事者にとっては重大なことでも端から見るとつまらない争いがあることを「蝸牛角上の争い」と表現するようになったのだとか。
類義語は「コップの中の嵐」
最後に「蝸牛角上の争い」の類義語である「コップの中の嵐」という言葉について見ていきましょう。
「コップの中の嵐」の意味
「コップの中の嵐」とは、内輪揉めを表現する言葉の1つです。
当事者同士が勢い込む激しい争いであっても、それが狭い範囲にしか影響しないことや他の大勢にはなんの影響せずに終わることの例えとして使用されます。
「コップの中の嵐」の由来
「コップの中の嵐」は、W・B・バーナード作の劇の題名「Storm in a Teacup」が出典となります。
このタイトルを直訳した言葉が「コップの中の嵐」なのです。
まとめ
「蝸牛角上の争い」は、取るに足らない争いのことを意味する言葉です。
当人たちからしたら激しい争っているように見えても、大局的に見ればどうでもいい争いであることを表現する際などに用いられます。
宇宙的な規模で見たら、人間の争いなど無意味で些細なものだということを説いた逸話からきた言葉となります。