「大山鳴動して鼠一匹」とはどんな意味?その由来は中国や昔の日本ではなく・・?

大騒ぎしておいて実際のところ肩透かしの結末を迎えたという状況をあらわす「大山鳴動して鼠一匹」。
期待外れとなった、という意味あいで使用されることもあります。

多くのことわざや四字熟語は古代中国の逸話であったり日本で起きたり生活に根付いているものから生まれたのですが、この「大山鳴動して鼠一匹」は異なります。
では、どのようにして生まれた表現なのかをここでは見ていきましょう。

「大山鳴動して鼠一匹」とは

 

まずは「大山鳴動して鼠一匹」という言葉の意味合いや用い方を見ていきましょう。

「大山鳴動して鼠一匹」の意味

「大山鳴動して鼠一匹」は、事前には大騒ぎしていたけれど、実際のところを見てみれば、その結果は取るに足らないものだったという意味があります。
取るに足りない結末だった、という意味合いであったり肩透かしとなったという表現で用いられることもあります。

「大山鳴動して鼠一匹」の用い方

「大山鳴動して鼠一匹」は、散々煽っておきながら大した結果にはならなかった際に使用します。
前置きが盛大であるにもかかわらず結果が振るわなかった時などに使用されることもあります。

世間も大事件だと騒ぎ立てるような事案が小さくまとまって結末を迎えてしまった、そんな事件の論評などに日本では用いられる傾向にあります。

「大山鳴動して鼠一匹」の由来

 

ここからは、「大山鳴動して鼠一匹」がどのようにして生まれた言葉なのかを見ていきましょう。

古代ローマを始まりとする説

「大山鳴動して鼠一匹」は、古代ローマで用いられていた「Parturient montes, nascetur ridiculus mus.(産気づいたと思われた山々から、鼠が一匹生まれる)」といった言い回しから来ているとされます。
これは、当時の詩人ホラティウスの「詩論」の一節から来たとも、その書がまとめられた時にはすでに用いられていたともいわれています。
似た表現は、古代ローマの歴史家「プルタルコス」がまとめた英雄伝という書などにも見られることから、当時すでに通用していたことわざだともされています。

イソップ寓話からきたとする説も

「大山鳴動して鼠一匹」は、日本には安土桃山時代に伝わったイソップ寓話のひとつ「山のお産」から生まれたとされることもあります。
とはいえ、この「山のお産」自体が古代ローマで用いられていたことわざから生まれた物語だといわれています。

その物語は以下のようなもの。

ある時、山が大きく揺れ、うなり声のような大きな音があたりに響き渡ることがありました。
人々は、一体何が起こるのだろうか、もしかしたら山が噴火したり地震が起きる前触れなのでは!と心配し不安を抱いていました。
多くの人が固唾をのんで見守る中、ついにその時がやってきました。
なんと、山からはネズミが一匹生まれでてきただけだったのです。

「大山鳴動して鼠一匹」の類義語

 

最後に「大山鳴動して鼠一匹」の類義語を見ていきましょう。
類義語としては、「蛇が出そうで蚊も出ぬ」や「肩透かしを食らう」などがあげられます。

蛇が出そうで蚊も出ぬ

「蛇が出そうで蚊も出ぬ」は、大きなことが起こりそうに見えて、結局は何も起こらないことを意味します。
何かが起こりそうなのに何もない、そんな場面を例える形で使用される言葉です。

肩透かしを食らう

「肩透かしを食らう」というのは、意気込んで臨んだら上手く躱されて気勢を殺がれることです。
当人の意気込みに反して、状況が整っていなかったりご破算になったことでうまくいく以前で話が終わってしまう状況などに用います。

がっかりするような、拍子抜けするような展開などに対して使用されます。

まとめ

「大山鳴動して鼠一匹」は、古代ローマで用いられていたことわざから来たともいわれる表現です。
また、そのことわざを元にしたイソップ寓話の物語のひとつを由来にしているともされます。

大きな前触れが会ったにもかかわらず、その結末は非常に小さいものだったという意味から、事件に対しての批評として用いられる事があります。

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