「読書百遍意自ずから通ず」とはどんな意味?その由来や類義語とは?

難しい内容の本であっても何度も繰り返し読むことで自ずと理解できるようになる、という意味の「読書百遍意自ずから通ず」。
この言葉は自ら学ぶことの大切さを説いた故事から来た言葉とされています。

ここでは、この「読書百遍意自ずから通ず」という言葉について、その意味や由来、類義語を見ていきましょう。

「読書百遍意自ずから通ず」とは

 

まずは「読書百遍意自ずから通ず」の意味を見ていきましょう。

「読書百遍意自ずから通ず」の意味

「読書百遍義自ずから通ず」とは、初めは理解できない内容であっても、何度も繰り返して読んいくうちに内容を理解できるようになるという意味があります。
これは、他人に頼る前にまずは自分で行うべきだという学びへの姿勢を説く教えでもあります。

他の表現がされることもある

「読書百遍意自ずから通ず」は、「読書百遍意自ずから見る」や「読書百遍義自ずから通ず」と表現されることもあります。
理解できるという意味合いで、「通ず」を「見る」と表現を変えたもの、
「意」も「義」もどちらも意味をあらわす言葉です。
「義」を意味という意味で用いる言葉としては、意義や類義語・対義語などがあげられますね。

「読書百遍意自ずから通ず」の由来

 

では「読書百遍意自ずから通ず」はどのようにして生まれた言葉なのかを見ていきましょう。

三国志の時代の学者が伝えた勉強法が由来

「読書百遍意自ずから通ず」は「魏志」-董遇伝から来ていると考えられています。

そこには「人有従学者、遇不肯教而云、必当先読百徧、言読書百徧而義自見」という一文があります。
この一文から一部が切り取られ、「読書百遍義自ずから見る」と変化して世間一般に広まったのではないかと考えられているのです。

何度も読む時間がない!という意見への返しに耳が痛い

董遇という人物は、『老子』や『春秋左氏伝』という書物の注釈をまとめました。
そんな董遇の勉学のモットーが「読書百遍」でした。
どんな内容でも何度も何度も読むことで自ずと理解できるようになると董遇は考え、実践していたのですが弟子たちは違いました。

中には生活が苦しいので、何度も何度も読んでいられる時間はないというものさえいたのです。
そんな弟子たちに、董遇は「三余を使いなさい」と返しました。

三余とは、冬・夜・長雨の日のことです。
冬は農作業なども無いので勉強に全部使える、夜は寝るだけなのでその時間を削れば勉強ができる、長雨に慣れば外に出れないので勉強が捗るというわけです。

しかし、これは勉強を厳しく教えてきたり課題を多く出す師に付くよりも大変なこと。
そのため、彼の知識を受け継ぐものは出なかったそうです。

また、「読書百遍義自ずから見る」には、「本というものは、数をとにかく読めばいいというものではなく、優れた書物を熟読することにこそ意味がある」という乱読を戒める意味も含まれていたとされています。

「読書百遍意自ずから通ず」の類義語

 

最後に「読書百遍意自ずから通ず」の類義語を見てみましょう。
類義語としては、「誦数以て之を貫く」などがあげられます。

誦数以て之を貫く

「誦数以て之を貫く」という言葉は、繰り返し読むことで書物全体の意味を理解することができるという意味があります。
「読書百遍意自ずから通ず」同様、難しい内容が書かれた書物というのは一度読んだだけでは全部の内容を理解することはできず、何度も読むことで次第に理解が深まっていくという意味合いの言葉となります。

まとめ

「誦数以て之を貫く」は、難しい内容が書かれていても、何度も繰り返して読んいくうちに理解できるようになるという意味があります。
乱読するのではなく、熟読することの大切さを説いた言葉でもあります。

この言葉は、三国志の時代の学者・董遇の勉強におけるモットーから来た言葉となっています。

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