晴天でも雨天でも素晴らしいことを「晴好雨奇(せいこううき)」と言います。
これらの言葉は主に風景などを賞賛する際に使用する言葉です。
しかし、そもそも「晴好雨奇」はどこから来た言葉なのでしょうか?
今回はそれら「晴好雨奇」について解説します。
特にここでは知っておきたい「晴好雨奇」の由来や語源についてもわかりやすく説明します。
目次
「晴好雨奇」とは
まずは「晴好雨奇」の意味について見ていきましょう。
「晴好雨奇」の意味
「晴好雨奇」とは晴天でも雨天でも素晴らしい景色のことです。
これらは自然の眺め、いわゆる風景を褒める言葉として使用されます。
実際に晴れていれば美しく、その一方で雨でも美しいと言えるような景色の褒め言葉として使用されます。
要はどちらにも趣があって良いということを言った表現となるわけです。
「雨奇晴好」と表現してもOK
「晴好雨奇」は熟語を逆にして「雨奇晴好」と表現されることもあります。
事実、四字熟語としては「雨奇晴好」で覚えている人も多いかもしれません。
世間一般で使用されるのも「雨奇晴好」だったりします。
ただし「晴好雨奇」でももちろん間違いではありません。
そこはどちらを使用してもOKなので、好みの方を選びましょう。
「晴好雨奇」の由来
では「晴好雨奇」はどこから来た言葉なのでしょうか?
ここからは「晴好雨奇」の由来や語源についてまとめます。
中国にある西湖の景色を詠んだ詩から
「晴好雨奇」は中国の詩「蘇軾-飲湖上初晴後雨詩」から来ているとされています。
中でも「水光瀲豔晴方好、山色空濛雨亦奇」から来ています。
これは古くから中国などに伝わっている詩の1つで、中国の絶景として知られる西湖について詠んだ詩です。
その意味は「水の光が細波に揺れて煌めく晴れた日の西湖は実に良い。山の色が霧雨に滲む雨の日の西湖もまた独特の趣がある」となります。
つまりは晴れの日も雨の日も趣があって良いということを素直に綴った詩なのです。
ちなみに、これらの表現は西湖の美しさを詠んだものですが、実は続きもあります。
それが「欲把西湖比西子、淡粧濃抹總相宜」という表現です。
その意味は「西湖を西施と比較しようとすれば、薄化粧も厚化粧もいずれもよく似合っており素晴らしい」となります。
西施とはこの地で絶世の美女として知られる人物のことです。
つまり、それらの美女と絶景を比べたところでどちらも比べようがないほど素晴らしいということを詠んだ詩なのです。
そこから「晴好雨奇」という表現が広まったとされています。
景色が素晴らしいことをあらわす四字熟語
最後に景色が素晴らしいことを指す四字熟語を見てみましょう。
ここでまとめる四字熟語は「晴好雨奇」にも似た表現が多いです。
山紫水明
「山紫水明」とは自然の風景が清らかで美しいことの例えです。
山が日の光で紫に霞み、水が清く澄んでいる様子から来た言葉とされています。
特にこれらは山水が綺麗であることの表現として使用されます。
それら山も水も両方綺麗であるという点が「晴好雨奇」と似ているのではないでしょうか。
嵐影湖光
「嵐影湖光」とは山の新鮮な精気と湖の輝きが美しいことの例えです。
「嵐影」は山に立ち込める精気のことを意味しています。
「湖光」は湖に日光が当たって輝くことを意味します。
つまりは山も湖もどちらも綺麗であることを言った表現なのです。
それら景色を褒めている点が「晴好雨奇」と同じです。
風光明媚
「風光明媚」とは自然の眺めが清らかで美しいことの例えです。
「風光」は自然の眺めのことを意味しています。
「明媚」は清らかで美しいことを意味します。
つまりは自然の眺めが清らかで美しいことを言った表現です。
それら自然の美しさを表現しているところが「晴好雨奇」に通ずるのではないでしょうか。
まとめ
「晴好雨奇」は晴天であろうと雨天であろうと、そこには趣があって美しいということの例えです。
これらは古代中国で生まれた言葉とされています。
それが現代にも残っているということです。
なお、これら「晴好雨奇」は単に風景を褒め言葉として使用される一方、もともと美女と絶景を比べた表現の1つでした。
それらの背景も知ると、より言葉の意味を深く理解できるかもしれません。