親しい者でも疎遠になると日を増すごとに親しみが薄れていくことを「去る者は日々に疎し(さるものはひびにうとし)」と表現します。
これらの言葉は亡くなった方にも使用されるのが特徴です。
しかし、では「去る者は日々に疎し」はどこから来た言葉なのでしょうか?
今回はそれら「去る者は日々に疎し」について解説します。
ここではその意味はもちろん由来や語源についても説明します。
目次
「去る者は日々に疎し」とは
まずは「去る者は日々に疎し」の意味について見てみましょう。
「去る者は日々に疎し」の意味
「去る者は日々に疎し」とは親しい者でも顔を合わせなくなるとだんだんと疎遠になっていくことの例えです。
つまり、離れ離れになれば日を追うごとに忘れていくものだということを言ったことわざとなります。
事実、親交があっても交流の機会が減れば親しさも自然と薄れてしまうものなのではないでしょうか。
それら人間関係の儚さを指した言葉が「去る者は日々に疎し」となります。
これらは寂しさを表す感情表現として使用されることが多いです。
亡くなった人に対して用いられることもある
「去る者は日々に疎し」には、亡くなった人は日に日に忘れられていくという意味も込められています。
大切な人を失った悲しみや苦しみというのは耐え難い苦痛です。
しかし、それらの気持ちも時間が経つごとに自然と落ち着いていくものです。
そして、いずれは毎日のように考えることもなくなります。
それら死者に対する表現としても使用されるのが「去る者は日々に疎し」となるわけです。
「去る者は日々に疎し」の由来
では「去る者は日々に疎し」はどこから来た言葉でしょうか?
ここからは「去る者は日々に疎し」の由来や語源についてまとめます。
由来は「徒然草」の一節から
「去る者は日々に疎し」は「徒然草」の一節から来ています。
その一節が「年月経へても、つゆ忘るゝにはあらねど、去る者は日々に疎うとしと言へることなれば、さはいへど、その際ばかりは覚えぬにや、よしなし事いひて、うちも笑ひぬ」です。
これは年月を経てすべてを忘れるわけではないにしても、古い詩で言われているように自然と忘れていくものだという意味です。
さらに、口では「寂しい」「悲しい」と嘆くことがあるものの亡くなった時ほど落ち込むことはなくなるだろうという意味も付け加えられています。
それでいて、いずれは下らない話にもゲラゲラと笑い出すようになるという意味もあるわけです。
それらの意味を持つ「徒然草」の一節から来たのが「去る者は日々に疎し」となります。
徒然草にある一節はどこから来たのか
特に「徒然草」の一節は作者不明の詩「古詩十九首-第十四首」から来ています。
そこには「去る者は日に以て疎く、来たる者は日に以て親しむ」という一節があるのだとか。
この一節には、去る者は日に日に疎遠になっていく一方で来るものは日に日に親密になっていくという意味があります。
そこから「徒然草」がの一節が生まれたそうです。
ただし、言葉自体は作者不明の詩から来たもので詳細不明とされています。
まとめ
「去る者は日々に疎し」は普段から親交があっても、離れ離れになると日に日に忘れてしまうものだという意味の言葉です。
事実、かつて仲が良かった友人や知人と会わなくなると、お互いに疎遠になってしまうことが多いです。
それらの状況を言ったのが「去る者は日々に疎し」となります。
また、これらの言葉には亡くなった方のことも次第に忘れていくものだという意味もあります。
つまり、人間関係の儚さを詠った言葉、それが「去る者は日々に疎し」となるわけです。