「石に布団は着せられず」は、親孝行に関することわざのひとつです。
孝行のしたい時分に親はなし、という言い回しに近しい意味合いがあります。
そこでここでは、「石に布団は着せられず」の意味や用い方、類義語について解説します。
目次
「石に布団は着せられず」とは
まずは、「石に布団は着せられず」の意味について見ていきましょう。
石に布団は着せられずの意味
「石に布団は着せられず」は、親が亡くなってしまってからでは親孝行はできないということを例えたことわざです。
また、親孝行は親が生きている間にするものだという教えでもあります。
石に布団は着せられずの成り立ち
「石に布団は着せられず」の「石」は墓石のことを指しています。
そして、「布団を着せる」は親孝行のことを例えています。
寝ている親に布団をかけてあげることを親孝行の比喩としています。
しかし、親が亡くなり墓石に布団をかけてあげても、それは親孝行とはなりません。
そのような状況を「石に布団は着せられず」はあらわしているのです。
その状況から転じて、親孝行するなら生きている間にすべきだという意味となりました。
「石に布団は着せられず」の類義語
ここからは「石に布団は着せられず」の類義語について見ていきましょう。
孝行のしたい時分に親はなし
「孝行のしたい時分に親はなし」は、親孝行したいと思った時にはすでに親はなくなっているものだという意味です。
親がいるうちは「まだまだ親孝行できる」と思うかもしれません。
しかし、いざ「親孝行しよう」と思った頃には親はもういないかもしれません。
だからこそ、親孝行は早めにしておくべきという教え・戒めでもあります。
いつまでもあると思うな親と金
「いつまでもあると思うな親と金」は日頃身近にいてくれる両親といえども、いつかは必ず死んでしまうものであるということをあらわしています。
同じようにお金も散財すればすぐになくなってしまいます。
親孝行や節約に対する教訓がこの言葉には込められています。
由来が古代中国まで遡る類義語
「石に布団は着せられず」の類義語のなかには、その由来が古代中国まで遡る類義語があります。
それが「風樹の嘆」です。
風樹の嘆
「風樹の嘆」は、父母がこの世になく親孝行できないこと、そしてそれを嘆くことを意味します。
「風樹」は風に吹かれて揺れ動く樹木のことをあらわしています。
樹木が静かにしていたいと願っていても、風が吹きやまなければ揺れ動き続けることになります。
これを、子供が親孝行したいと願った時にすでに親が亡くなっており叶うことのない願いに嘆いている様子と掛け、どうすることもできない状況を例えています。
「風樹の嘆」の由来
この「風樹の嘆」という言葉は、古代中国にまとめられた詩経の解説書『韓詩外伝』に由来があります。
その一節に「樹静かならんと欲すれども風止まず。子養わんと欲すれども親待たず。往きて見るを得べからざる者は親なり」とあります。
これは「木が静かにしていたいと切望しても、風がやまないとどうすることもできない。そして、親孝行しようと子供が願っても親は待ってくれない。亡くなってしまえば親には二度と会えないものだ」という意味合いが込められています。
そこから、「風樹の嘆」は親孝行の教訓として使用されるようになりました。
まとめ
「石に布団は着せられず」は、親孝行は早めに行うべきという教訓となることわざです。
経済的なゆとりができたので、一緒に旅行に移行など親孝行しようと考えたった思った頃にはもう両親が亡くなっているということもあるでしょう。
その墓石に布団をかけてあげても親孝行にはなりません。
だからこそ、生きている間に親孝行すべきです。
その教訓となるのが「石に布団は着せられず」です。