戦国大名「伊達政宗」の逸話!お酒の入った伊達政宗の失敗談がひどい

調子に乗って飲みすぎたり、思ったより酔いのまわりが早かったことが原因で、人間一度はお酒で失敗することはあると思います。
それは英雄と呼ばれる人間でも同じようです。

戦国大名の伊達政宗(だてまさむね)は、よほど酒が好きだったのか、酒宴が多かったのか、ことあるたびに酒に酔って失敗をしています。
当人もやらかしたことを気付きつつも繰り返していた、伊達政宗の酒での失敗談の逸話をご紹介します。

酔っぱらって粗相する伊達政宗の逸話①

 

伊達政宗は、酔うと時に絶対に粗相をしてはいけない相手にもやらかしてしまっていました。

お酒に酔って行方不明?!将軍徳川家光との酒の席での酷すぎる粗相

伊達政宗は江戸幕府の三代将軍、徳川家光(とくがわいえみつ)に非常に信用されていました。
そのこともあって徳川家光から度々夜の酒宴に呼ばれていました。

酒宴が長くなったある晩のことです。
徳川家光は伊達政宗の姿が見えないことに気付きました。

徳川家光にとって、伊達政宗が勝手に席を外すことはよくあることだったのでしょう。
「またいなくなったか」と言うと、周囲の人物は伊達政宗がどこに行ったか探し始めました。

隣の間に伊達政宗の脇差はありますので、江戸城内にまだいるだろう、とあたりをくまなく探しても見つかりません。
念のため大手中御門に伊達政宗が姿を確認しに行ったところ、まさかのすでに大手中御門を通って城を出たという返事でした。

驚いた家臣たちは徳川家光にそのことを報告すると、ふと徳川家光は伊達政宗が忘れていった脇差を手に取りました。
脇差を抜いてみれば、そこから姿を見せたのは鋭い刃ではなく竹光、すなわち竹でできた刃でした。

人を切ることが決してできない竹の脇差を見て徳川家光は大いに笑って、勝手に帰った伊達政宗のことを問題なしと許したといいます。

徳川家光からの信用が厚い伊達政宗

この逸話の中で、伊達政宗は酔った末に徳川家光に無断で帰るという信じられない粗相をしています。
しかし、徳川家光から厚い信頼があったことから伊達政宗は笑って許されています。
いくら酔っているとはいえ日本で一番の権力者にこの態度は凄いですね。

また、この後も徳川家光から伊達政宗への信頼度の上昇は止まることはありませんでした。
後年、徳川家三代に仕えた忠義に報いるため、伊達政宗が脇差を帯刀したまま面前に出ることを許しました。
これはもし刀を抜けば命を取られることもあることから、徳川家光には伊達政宗に対して絶対の信用があることをあらわしています。

これには若い時は豊臣秀吉(とよとみひでよし)や徳川家康(とくがわいえやす)から油断できない人物といわれた伊達政宗も深く感動したといいます。
それからというもの、伊達政宗は脇差を帯刀して出仕していましたが、その中身は竹光のままだったといいます。

酔っぱらって粗相する伊達政宗の逸話②

 

酔っぱらった伊達政宗が自分以上の権力者に対して粗相したのは徳川家光にだけではありません。
公家や皇族の前でも粗相をしています。

酔っぱらった伊達政宗、公家の偉い人たちに絡み酒!

1634(寛永11)年に行われた、徳川家光の三度目の上洛に際し、伊達政宗も京の都まで付き従いました。
上洛した伊達政宗に対して、後陽成天皇の第四皇子で前関白の近衛信尋(このえのぶひろ)と八条宮智忠親王(はちじょうのみや としただしんのう)という文化人としても名高かい人物から、能見学をいっしょに楽しみたいとの誘いがありました。

伊達政宗は近衛信尋とは昵懇の仲であった上、能を非常に好んでいましたのでこの誘いをうけることにします。
現在ではお堅い伝統芸能のイメージの強い能ですが、当時は最高の娯楽の一つだったこともあり、能の興行場所には貴賎問わず大勢の人物が集まっていました。

そして当時、、能は酒を飲みながら見るものでした。
ところが、伊達政宗は酒をほどほどにしなかったようで、酔っぱらった挙句、近衛信尋に対して「公家ほどぬるきものはない!」と言いながら、かぶっていた烏帽子をいじくりまわしました。
この様子は同じく能見学に来ていた群衆の目にも入り、人々は「ありえない」と恐れおののいたといいます。

絡み酒の末に近衛信尋の烏帽子をいじくりまわしてしまったが・・・

後陽成天皇の子供で、関白職にも就いていた近衛信尋に対して絡み酒をしていた伊達政宗ですが、この後特段処罰を受けた様子はありません。
おそらく、徳川家光の上洛中だったこと、伊達政宗と近衛信尋が付き合いの長い親しい仲だったこと、伊達政宗が高齢だったこと(この事件は伊達政宗が亡くなる2年前)と、条件が重なって処罰が無かったのかもしれません。
伊達政宗は亡くなる2年前でも酒で失敗するというのですから、よほど酒が好きなうえに懲りない性格だったようですね。

酒で失敗した後、反省はしていた伊達政宗

 

伊達政宗もさすがに酔って暴れた事を悪いこととは思っていたようです。
実際、酔って小姓頭を殴ってしまった際に、その同僚に対して反省した気持ちを手紙にしたためて送っています。

その手紙は現存していますのでその内容を紹介します。

酔って部下を殴ってしまったのを恥じる伊達政宗

先日酒を飲んだ際、蟻坂善兵衛の言い訳に腹を立てて脇差の鞘で殴ってしまった。
しかしいくらなんでも未熟さがあったとはいえ、小姓頭という責任ある役割を命じた者に、酒に酔ったうえで頭を脇差の鞘でたたくというのは、自分が悪い。
酒を飲んで、つい我を忘れて主君のなんたるかを失念していた。
蟻坂善兵衛には、頭の傷が治ったら、ぜひまた仕えてほしいので、伝えてほしい。

酒癖の悪さを自覚していた伊達政宗

手紙でこのようにしたためています。
酒を飲むとかっと頭に血が上りやすくなる、というのは伊達政宗は自覚をしていたようです。

しかし、前述の通り亡くなる直前まで酒に酔って粗相をしていますので、自分の悪癖を知ってはいたとはいえ、改善はできなかったようです。

まとめ

ここまで伊達政宗の酒での失敗談についての逸話を紹介してきました。
酒で失敗するという点では現代も昔も変わらないのだな、となりますが、さすがに粗相する相手が時の将軍や皇族となると大物だなと逆に感心してしまいますね。

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