【名字の不思議】「服部」の読み方が「はっとり」になる理由とは!?

名字や地名の一つ「服部」。
その読み方は「はっとり」ですが、よくよく考えるとなぜ『ふくぶ』や『ふくべ』という読みにならないのか疑問が浮かびます。

忍者で有名な『服部半蔵』などがいることから苦もなく読めますが、服には「は」から始まる読みはありませんので、本来は難読とされていてもおかしくありません。
「服部」がなぜ「はっとり」と読むのか、その経緯や「服部」に潜む更なる豆知識について解説します!

「服部」は起源を古墳時代まで遡る歴史ある名字

 

名字としての「服部」は日本全国に広がっており、服部姓を現在を名乗っている人は15万人にも及ぶとされています。

服部の原型『服織部(はたおりべ)』

「服部」の語源となる言葉の歴史は古く、約1500年前の古墳時代にまで遡ります。

当時の日本には、渡来人など機織りの技能を持つ技術者集団がいました。
この一族は『服織部(はたおりべ)』と呼ばれており、朝廷に仕えて衣類の作製する役割を担っていました。
この衣類作製に関する技術者集団である『服織部』が後の「服部」の名前の原型となります。

『服織部』は他にも『機織部』とも書かれますが、この『機織(はたおり)』は着物を織る際に使われる機械のことです。
鶴の恩返しで女性に化けた女性が障子の向こうで自分の羽を使って反物を織る際に使っていた道具というと姿を思い出しやすいかもしれません。

特殊な技術者集団は他にもおり、朝廷直轄の山や山林を守護するのが目的の『山部(やまべ)』、祭祀を司る『忌部(いんべ)』など存在は多岐に渡ります。
このように多様な技術者集団を『品部(しなべ・ともべ)』と総称していました。
この『品』には多種多様という意味があります。

古墳時代とは

『服織部』が日本にやってきたとされる『古墳時代』は、3世紀~7世紀、前方後円墳が盛んに造成されていた時代を指す時代区分です。
ヤマト王朝の権勢が次第に日本全国に広がっていった時代でもあります。

『はたおりべ』の読みが「はっとり」に変わるまで

古墳時代に端を発する品部の『服織部』ですが、時代の経過とともに漢字と読みが変化して『服部(はとりべ)』となりました。
さらに時間が経過すると『はとりべ』から『はとり』に読みが変化し、そこから「はっとり」という現在の形になりました。

「部」は読まれない文字

 

「服部」の読みが『はとりべ』から『はとり』に変わったことで『部』は読まれない文字となりました。
表記はあっても発音されないこの『部』のような文字のことを『黙字』といいます。

黙字の他の使用例としては『和泉(いずみ)』の『和』、『百舌鳥(もず)』の『鳥』があります。

漢字が省略されたことで消えた「とり」要素

「服部」は、原型の『服織部』から『織』の字が省略されたことでできた言葉です。
そのため、どこを見ても読みの「とり(おり)」の要素を見つけることができません。

まとめ

「服部」は起源を1500年ほど遡ることのできる非常に古い言葉です。
「服」には「はつ」という読みはありません。
これは訓読みの『ふく』が訛った発音にも見えますが、語源となる『服織部』のもう一つの漢字表記『機織部』の読みとなる『はたおり』が時代の経過とともに「はっとり」へと変化したものです。

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