【くらやみ祭り】気になる名前だけど、なんで暗闇?なにをするお祭り?

全国で行われているお祭りの中には長い歴史があるからこそ面白い行事となっているお祭りもあります。

東京都のほぼ中央、府中市で行われている「くらやみ祭り」もその一つです。

奇祭ともいわれるこのお祭りは、ただ面白い名前をしているだけではありません。そこには長い歴史と興味深い行事や面白い催しがあります。70万人もの人で毎年賑わうという「くらやみ祭り」について解説します。

「くらやみ祭り」は1000年の歴史があるお祭り

歴史

「くらやみ祭り」の歴史は古く、はじまりはおよそ1000年前、平安時代にまで遡ります。その時代、武蔵野国と呼ばれていた東京都と埼玉県を合せた地域の政治・経済・宗教の中心となる「国府」が設置されていたのがこの府中です。

「くらやみ祭り」は、「国府祭」という古い祭りを原型をとする「大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)」の例大祭です。室町時代は「五月会」という名前で行われていたとされ、江戸時代には現在のように訪れた人々で賑わうお祭りになっていたそうです。

大國魂神社

日本神話最初の英雄ともいわれる「ヤマトタケル」その父親「景行天皇(けいこうてんのう)」の時代に地上に降臨した「大國魂大神」を祀ったのが大国魂神社のはじまりとされています。この大國魂大神は、出雲大社に祀られていることで有名な「大国主神(おおくにぬしのかみ)」と同一の存在とされています。

大化の改新の頃、大國魂神社の境内の中に政治・経済の中心となる国府が設置されたことから「大國魂神社」は武蔵国の祭事を総轄するようになったことで、武蔵国の宗教の中心地となりました。

源氏との結び付きも強く、現在の大國魂神社の参道にあたるけやき通りは『八幡太郎』の通称で知られる「源義家(みなもとのよしいえ)」とその父「源頼義(みなもとのよりよし)」が寄進した苗木が始まりとされています。

また、鎌倉幕府を開いた「源頼朝」が、大国魂神社で妻「北条政子」の安産祈願を願ったという伝承も残っています。

「くらやみ」という意味深な祭りの名前の由来

奇祭ともいわれる「くらやみ祭り」の変わった名前は、古に行われていた祭りの様子から付けられたとされています。

現在は日中から催されるこのお祭りですが、昔は深夜に行われる祭事でした。その際、府中の街中にある灯りを全て消して暗闇の中で行っていたことから、『暗闇の中に行われる祭り』の意味でくらやみ祭りと呼ばれるようになったそうです。

なぜわざわざ暗闇の中で祭りが行われていたかというと、貴いものを直接見るのは許されないとする儀礼に基づいての考えによるものです。

この考えから神聖な御霊が神社から神輿に移る姿を人目につかないようにするために街中の灯りを消して行事を執り行っているとされています。

ゴールデンウィーク期間に行われる盛大なお祭りの「くらやみ祭り」


出典:wikipedia.org

昔は深夜に行っていたくらやみ祭りですが、現在では日中から行われるお祭りとなっています。

一般に公開され、お祭りとして神輿や山車が見られるのはゴールデンウィークに当たる毎年5月3~6日のことですが、実は非公開ながら4月30日から執り行われています。

4月30日

くらやみ祭りの始まりは大国魂神社ではなく、品川から始まります。品川区にある荏原神社(えばらじんじゃ)を出発し、品川沖まで向かうと手と口を清めます。

更にくらやみ祭りの間に使用する清めの水も汲み取り持ち帰るこの神事は品川海上禊祓式汐盛りと呼ばれます。

5月1日

くらやみ祭りの間の晴天を願い、安全を祈願する祈晴祭が行われます。

5月2日

この日に行われる御鏡磨式では、かつては祭りの際に神輿に付けられていた鏡を磨き清めます。現在はこの磨かれた鏡は神輿に取り付けることはなく、再び本殿に納められます。

5月3日

一般に公開される祭りがこの日から始まり、多くの行事が行わていきます。

夕方からは山車に乗った人々がお囃子をする囃子の競演が参道の欅並木で行われ、夜になると旧甲州街道で乗馬し馬を走らせる競馬式(こまくらべ)がはじまります。

5月4日


出典:wikipedia.org

神輿に御霊を移すためにお祓いをし、飾り綱を付ける御綱祭。灯籠提灯の一種でもある花萬燈(はなまんどう)の出来栄えや美しさを競い合う萬燈大会。子供神輿が欅並木から街へ出て練り歩く子供神輿渡御などを日中に見ることができます。

夜になると始まる山車行列では提灯に灯された山車がお囃子と競演し大國魂神社周辺を巡行します。

5月5日

神輿渡御


出典:wikipedia.org

大國魂神社で最も重視されている祭祀、例大祭が行われるのは毎年この5月5日です。神輿に御霊を移す神事などが行われると、夕方過ぎからは祭りの本番ともいえる神輿の出番です。

太鼓の音が響く中、八基ある神輿は白丁をまとった担ぎ手により御旅所(おたびしょ)まで渡御され、そこで一晩安置されます。

野口仮屋の儀

かつて大國魂大神が府中に降臨した際に一晩の宿を借りたとされます。くらやみ祭りではこの伝説を具現する儀式があります。

家を宿として貸したという野口家から大國魂神社の宮司が接待を受けるこの儀式は野口仮屋の儀と呼ばれ22時過ぎに行われます。

この儀式の帰り、宮司が神馬に乗り御旅所に戻る際に馬上から的を射るやぶさめ式が行われます。やぶさめというと一般的には鶴岡八幡宮などで行われるものを想像しますが、くらやみ祭りの場合は趣が違い、馬を静止させた状態で、至近距離から的を射る形式的なものになっています。

このやぶさめの式を持ってこの日の儀式は終了となります。

5月6日

例大祭が行われるのは前日の5日のことですが、祭事は終わっていないのでくらやみ祭りは行われます。

残っている祭事は大きく分けて2つ、御旅所に着御させた神輿を大國魂神社に戻す神輿還御(おかえり)と、神輿に移っていた御霊を再び本殿に戻す鎮座祭です。

この鎮座祭の儀式で例大祭が無事に終えた事を報告することで、くらやみ祭りもまた終わりとなります。

くらやみ祭りの見どころ

全7日、公開されている祭りだけで4日と長期に渡るくらやみ祭りの中でも特に見どころとなるポイントがありますのでご紹介します。

日本一の大太鼓


出典:wikipedia.org

直径が最大2.5mにもなり、大人が4・5人も上に乗ることのできる大太鼓がくらやみ祭りでは使われます。その響きは4日の太鼓の響宴や5日の神輿渡御で感じることができます。

競馬式(こまくらべ)


出典:wikipedia.org

武蔵国はかつて良馬を産出する地としても知られていました。朝廷には国司が選定した馬を献上していたとされる慣習にあやかって現在も3日の夜、20時頃から行われている行事が競馬式です。

現在は6頭の馬が旧甲州街道を3往復する催しとなっています。その際、騎手は烏帽子(えぼし)・直垂(ひたたれ)という武家の裝束を身にまといます。

そして、大國魂神社のそばに府中競馬場がある縁で、JRAから騎手や馬がサプライズ参加することも!因みにあの大人気騎手の藤田菜七子騎手も男装して参加したこともあるんですよ!

神輿渡御


出典:wikipedia.org

くらやみ祭りの最大の見せ場とされるのが神輿渡御です。「おいで」とも呼ばれるこの催しは、花火とともに大太鼓が打ち鳴らされてはじまり、全八基の神輿が威勢のいい担ぎ手たちによって、本殿前からけやき通りを通り府中駅前周辺をまわってから御旅所まで渡御します。

最後の神輿が御旅所に到着するのは合図となる花火が上がってから3時間ほど後、9時過ぎになるそうです。

まとめ

くらやみ祭りは関東三大奇祭のひとつといわれる一風変わったお祭りです。催しの多くは夕方から夜に行われるので、夜の街を巡る神輿や、夜道を駆ける馬など非日常感がとても強い風景を見られるお祭りとなっています。平安時代は灯を全部落としていたというので、月と星の光だけを頼りに行っていたというのですがから驚きですね。

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出典:Wikipedia(くらやみ祭)

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